数学ができる子の育て方?4

さて、
 
 1 数学がわかると楽しい。
 2 問題が解けるとうれしい。
 3 人に説明できるとうれしい。
 4 テストで良い点を取ると気分がいい。
 
これらの喜びを理屈ではなく、実体験として知らしめればよいのだった。(いや、たぶん。)
しかし、それを人為的に導くのはなかなか難しいのだ。(いや、たぶん。)
 
ところで数学が得意な私は、いつどうやって得意になったのか。
それを具体的には書けない。(あまりに、プライベートだから。)
子供たちについても同様である。
 
ただ、思うに、誰にも上のような経験をするチャンスは一定の確率であって、たまたま
そういう経験ができた人が「数学優等生」への道を歩き始めるのだろうと思う。
(「始める」というのは、きっかけであって、そのままいけるかどうかは、もちろん、その後の話だから。)
 
この「一定の確率」は、当然、人によって違う。
だから、その確率が上がるような環境を作ってやるのが、指導者の仕事だと思う。
 
え?結局、環境を整えるって話だけ?
はい。そうです。
でも、「体験を人為的に導くことはほぼ不可能」という認識は、いくら強調しても強調し足りないくらい
重要だと思うのだ。
無理に導こうとすると、道をはずしてしまうのではないだろうか。
 
要するに、「100%の方法はない」ということでもある。
 
それで、個別に考えたい。
 
1 数学がわかると楽しい。
多くの人が一番望むであろう、一番高尚な動機付けだろう。
しかし、これは生徒の個性に関するもので、指導者が一番コントロールしにくいものではないかと思う。
先生が「生徒の個性を変える」を目標にしても、たぶん、無理だと思う。
いや、「ズルをしない。友達と仲良くする」等の指導はしてほしいし、成功の確率もそこそこ高いと思う。
しかし、「数学を楽しむ人格にする」は、相当難しいし、空回りになることが多いと思うのだ。
「面白い数学を語って聞かせる」というのがあり、それも1つの手だと思うし、また、やってほしいとも
切に思うが、「それで人格が数学型になる確率は低い」と思った方がよいと思う。
ひとつ言うと、数学自体を語って聞かせるより、や先生が「数学っておもしろいよねぇ」と本気で
感嘆する姿を見せた方が確率が高いと思う。
親が数学好きだと、子も数学好きになる確率は高いだろう。
もし、ここを読んでいる奇特な親御さんで、数学が嫌いな方がいれば、気分を害したかもしれない。
しかし、事実は事実(私は事実だと思う)であって、それを認めた上で対策を考えた方がよいと思う。
すべては確率の問題で、チャンスはどこにでもあると思う。
 
2 問題が解けるとうれしい。
問題が解けたときの喜びは、それ自体の喜びであって、「ご褒美のお小遣いアップ」の喜びなどと
混乱させない方がよいと思う。
ただ、「称賛すること」は、喜びにつながるかもしれない。
だから、小さい子供が「算数の問題解けたよ〜」と言ってきたら、本気でほめてあげると良いと思う。
そして、できる限り、その問題の内容も聞いてあげるべきだと思う。
「すごいね〜。お母さんはよくわからないけど」より「へ〜。どんな問題?」の方がずっと良いだろう。
もちろん、数学になれば「お母さん(お父さん)にはわかんないけど、すごいね〜」で良いと思う。
 
3 人に説明できるとうれしい。
上の話と同じである。
できる限り聞いてあげると良いと思う。
そのためには、普段から算数の話をしていると良いと思う。
ただ、「算数の話」と「算数の成績の話」はまったく違う。
成績の話は当然、折々に必要だと思うが、日常的にするべきことは「算数の話」である。
 
あれ、いつの間にか、数学じゃなくて、算数の話になってるぞ。
もちろん、「数学の話」ができれば、それも良いと思う。
が、それができる親御さんは少ないだろうと思う。しかし、算数ならぜひ実行してほしいと思う。
「算数は苦手」と思っている方でも、大人になって、算数の教科書を見れば印象も違うと思います。
 
4 テストで良い点を取ると気分がいい。
良い点を取ったらほめてあげるとよいと思う。
(個人的には、モノやオカネのご褒美はあげない方がよいと思う。「称賛」というご褒美がよいかと。
 我が家では、「おいしいものをみんなで食べてお祝いする」をやった。
 タベモノと言えばそうだが、私としては、「称賛」の一環としてだった。)
「悪い点を取ったらしかる」は逆効果にしかならないと思う。
 
ずいぶん前に書いたが、小学校の低学年の場合、良い点を取らせるのは簡単である。
アンテナを張っておいて、試験の前日に、15分も一緒に勉強すればよいと思う。
 
一応、おしまい。
で、可能なら、続編「高校生以上で数学が苦手な人がどうすべきか」に続く、、、かな。
だって、小学生と一緒に語るのは難しいから。