数学の先生のパラドックス

人は、難しい問題が解けたとき、とてもうれしいと思う。
だから、その喜びを味わわせてあげようと、難しい問題を出すと生徒の心を折ってしまうかもしれない。
しかし、だからと言って、解けて当たり前の易しい問題ばかり出していると、子供たちは、
ホンモノを学ばないことになる。当然、喜びも小さい。
 
そこで、「難問を見せ、やらせ、解き方を教える」という方針がある。
私なら(そして、多くの数学教師なら)、難関大学の数学の難問(?)を、「中級の子」にもわかるように
説明することができると思う。
そうすると、もしかすると、生徒たちは、喜ぶかもしれない。
何よりも、「難問を解く方法」を目の当たりにして、「よし、今度は自分で」と思うしれない。
 
・・・と、思うだろうか。
私は、あんまりそんな気はしないのである。
少しはあるだろう。その中のさらに幾分かの生徒はそれで伸びていくのだろう。
しかし、大部分の生徒は、ヘンな安心感を持っただけ(「いいこと習った」とか「この先生すごい」とか)で、
数学力はたぶん伸びていないと思う。
 
自らの数学力の養成に必要なのは、「難問にくらいつく気持ち」だと思う。
数学の先生が丁寧に教えれば教えるほど、そういう訓練から遠ざかるような気がする。
ウキワを使えば使うほど泳げなくなるのと同じである。
 
だからと言って、難問を本気で解かそうとすると、やっぱり、多くの生徒の心を折ってしまうのだ。
ここで、数学の先生は大いに悩む。なんてことはない。たぶん。
少しは悩むかもしれない。良心に基づいて。しかし、結局、仕事なんだから、説明して終わりである。
それで、生徒が伸びればよし。伸びなければ、自己責任ということになると思う。
酷い言い方だが、これは現実であり、また、先生が悪いわけでもない。と思う。
 
親と先生は違うのである。
 
なお、それなら、ウキワを使わせたり、取り上げたり、うまい具合に進めてほしい。
と、親御さんは思うだろう。
実際、多くの先生はそう工夫していると思う。
しかし、全員にちょうど良いようにはできないはずである。
 
先生が100人の子供を教えて99人の子供の成績が伸びたとすると、その先生はものすごく優秀だと思う。
しかし、残り1人の親には、許しがたい先生かもしれない。
(現実は、99人も伸びないと思うし。)
 
後記:
塾の数学講師の仲間で話したことがある。
普通の塾には授業アンケートがある。
「その結果が悪いとクビ」というウワサもあった。
で、話したこととは、次のようなことだった。
 
数学とか物理とか(たぶん、他の科目も)、結局、自分で本気になって勉強しないと身に付かない。
教師はすべてを教えることはできない。
だから、良心に基づいて、「私の授業を聞いてるだけじゃだめだよ。自分で勉強しなさい」と言いたい。
しかし、それを言うと、アンケートが悪くなるのだ。