数学ができる子の育て方?3

ところで、長時間数学の勉強をする子はどうしてそんなことをするのだろうか。
私の知っている範囲で一番多いのは、「勉強しなければいけない」という状況になると、
とりあえず数学の勉強をしちゃうタイプである。
「社会の勉強?やだな。あ、数学やろう」とか。(ま、私のことです。)
ただ、なんにしても、彼らの多くは、歯を食いしばって数学の勉強しているのではないと思う。
 
世の中には、私の想像を超えた人がたくさんいる。それはわかっている。
が、私が知る限りの最大公約数的な答は、「次のどれか」(複数選択可)だと思う。
 
 1 数学がわかると楽しい。
 2 問題が解けるとうれしい。
 3 人に説明できるとうれしい。
 4 テストで良い点を取ると気分がいい。
 
「数学ができる」というウワサがたつと、友達に聞かれるようになる。
そこで説明するのは、「歌手の○○、今度結婚するんだぜ」と誰より先に言うのと同じ感触だと思う。
それが3である。
 
上の方の理由は高尚、下にいくにつれレベルの低い話になる・・・。
と言う人もいると思うが、ごめんなさい、そういう「きれい事」が実際の教育を(そして、生徒の可能性を)、
縮こまらせているのではないだろうか。
 
これらの喜びを知っていると、長時間でも数学の勉強をしたくなってしまう、あるいは、
長時間の勉強に耐えられるようになるのである。
 
で、これで解決かというと、こっからが出発だろう。
この喜びを理屈ではなく、実体験として知らない(普通の)人は、数学を長時間勉強することは
難しい(あるいは、できない)のではないかと思う。
もちろん、「数学」を別の科目に置き換えても同じだと思うが、数学こそ、これを体験することが難しい。
 
そこで古来よりいろいろな方法が取られた。
たとえば、「数学の内容」を下げる。つまり、やさしいことしか学ばせない。
ゆとり教育である。
しかし、「理解できるように内容を減らしたもの」は理解できても、喜びなんかないのである。
 
あるいは、「問題の解き方」を徹底的に分解して丁寧に教える。
優秀な先生にしかできないが、逆に優秀な先生はやり勝ちである。私もできる。
しかし、バラバラに解体された数学の問題を見せられても、何をやってるのかわからなくなったり、
わかったところで、楽しくなかったりする。もちろん、感動もない(少ない)だろう。
それでは、「問題が解けた喜び」はわからないだろうし、それ故、モチベーションにもならない。
 
「人に説明するとうれしい」を人為的に行おうというのがアクティブラーニングだろう。
もちろん、本当に数学ができているわけではないので、喜びはないと思う。
 
ゆとり教育では、テストで良い点を取らすために、問題をやさしくした。
期末テストでクラスの半数が100点などということもあったらしい。
(まあ、教える内容を下げればテストもそうなるのだろう。)
そんなテストで100点取ってうれしいですか?
 
もちろん、3と4は、他人との競争を意味している。
競争に勝つ人がいるなら、負ける人も必ずいる。
すると、この原理を用いる限り、絶対に、楽しくなれない人がいるということになる。
この点は、よく考えなければいけないが、事実だと思う。
しかし、だからと言って、競争をやめさせてよいとも思えない。
 
「競争は嫌だな」と思うと、1と2に集中することになる。
(これもゆとり教育の方針だったか?)
しかし、多くの人間が成長するのは、競争を通じてだと思う。
最近人気の将棋のF君に、「競争なんて、つまらないからやめなさい」という人はいないだろう。
(最近の若い競技者の特徴に「幼少時、負けると本気で悔し泣きをした」があるように思う。
 数学は競技ではないのかもしれない(そうかもしれない)が、競争がなければ難しいと思う。)
 
いずれにしても、大概の方法はうまくいかないのだ。