もうひとつの記憶法? 3

私の父親は新聞で読んだことを、あたかも大発見のように、自慢げに話す。
いや〜も〜、かんべんして、と思う。
しかし、そうすることで、記憶が定着することは間違いない。
私も、実は同じようなことをしている。
となれば、同じ遺伝子を引き継いでいる我が子たちにも有効であるに違いない。
 
つまり、
 
 何かを学んだら、その内容を自慢げに話す
 
だ。
 
えーと、この話前にしましたね。
「飲み屋のウンチク親父のようになれ」とかなんとか。
しかし、実際そういう仕組みができれば、すばらしいと思う。
 
正直なことを言うと、今、私にそういうことが起こっていると思う。
「子供の助けになろう」と、好きでもない歴史やら何やらを勉強している
(最近は歴史が終わったので、現代社会とか地理とか。涙)のだが、
我ながら意外に覚えてしまう。
つまり、子供に「いいか、大衆社会っていうのは、まず、市民革命があって、
それから産業革命があって、普通選挙が実施されて、大量消費が行われ、
自由から逃走しちゃったり、群衆が孤独だったりするんだ」と自慢げに
話すもんだから、覚えてしまうのだ。
 
いや、「大衆社会」は、今日的に重要なことであり、当然理解しておかなければ
行けないことなんだろうけど、ごめんなさい、私にはつまんないんです。
でも、教科書で読んだばかりのことを自慢げに説明していると覚えてしまうのだ。
いや、正確には「説明しているときに覚える」というだけでなく、むしろ、
「自慢げに語るために覚えてしまう」のである。
 
これは、しかし、私の勉強にはなっているが、子供の勉強になっているか疑問だ。
だから、子供にこの仕組みを持たせるにはどうしたらよいのだろうか、と。