もうひとつの記憶法?

考えると覚えるらしい。
あれ?当たり前か。
でも、何かできそう。
 
いつもそうだけどかなり根拠なく主張します。
 
勉強は「記憶か、思考か」という二項対立的に語られることが多いと思う。
私はどちらかというと、その実践においては、「記憶も思考も」と考える派だが、
それはつまり二項対立を部分的にも支持しているわけだ。
 
しかし、記憶学習と思考学習をそれほど峻別する必要はないかもしれない。
たとえば、「英単語を覚える」と言ったとき、それはたぶん記憶学習だと思う。
しかし、本当にそうだろうか?
英単語を覚えながら思考はしていないだろうか?
そんなことを考えた。
焦点はタイトル通り「記憶学習」である。
が、それは同時に「思考学習」に関する考察でもありたい。
 
「暗記」と言って思い浮かぶのはなんと言っても(?)「丸暗記」だろう。
人が「丸暗記」と言うとき、たぶん、極力「思考」は排して、「記憶」に焦点を
当てて語っているのだと思う。
世に「丸暗記はダメだ」という人は多いが、一方、「丸暗記で成功した」という人も
いないわけではない。
だから、記憶法にしても、最終的には、自分(や生徒)に合っている方法を
選び取ることが重要かもしれない。
 
なんて言い出したのは、私は、傲慢にも一般論は「勉強本」をたくさん読んで、
もうわかった気がするからである。
 
前にも書いたが、世の中の勉強本を書いている人の大部分は「記憶力で人生を
切り開いてきた人たち」だと思う。
そして、そのうち何割かは「丸暗記そのものが得意な人たち」であり、
残りは「丸暗記を苦痛と感じ、別法を主張する人たち」である。
前者の本は、「まずこれを覚えましょう。次にこれです。それからこれ」という風に
進んでいき、「覚えられない人」の存在があまり意識されていないように思う。
一方、後者の本は、「暗記法」が中心になる。
 
もちろん、どちらのタイプの本にもピッタリ合う人がいるだろうし、その人たちには
極めて有益だと思う。また、ピッタリでなくても、理性的に読むならば、やはり、
役に立つ情報はたっぷりあるはずだ。
 
さて、自分はどうだろう、と考える。
以下は、要するに、自分の話である。
しかし、たぶん、当てはまる人も少なからずいるのではないかと、推測する。