上記の補足

たとえば、子供に「クラスで一番になれ」などと言うのはどうだろう。
 
「順位」には、相手もいることだし、そのクラスにボルト君やガウス君がいた場合、
それはなかなか困難な課題となるだろう。
だから、そういうことを「絶対的な目標」(「達成できなければご飯抜き」とか)に
することには賛成できない。
しかし、そういう目標をナントナク持たせることは悪くないと思う。
(「クラスで一番になれ」というのは、かなり特殊な親かもしれない。
 しかし、「一番」を「10番以内」とか「20番以内」にすれば、よくあると思う。
 ちなみに、息子の小学校時代の徒競走の目標は、「脱ビリ」だった。)
 
ところで、その話と上の思考実験とは直接には関係がない。
ということは、言っておきたい。
思考実験で想定していたことは、
 
 ・毎日家の周りを走る。
 ・毎日ドリルをする。
 ・毎日問題集を解く。
 
などということであり、それが実行できれば「目標達成」ということなのだ。
そして、「やったことに応じて、成果は必ず出る」というのが、結論だった。
 
つまり、「毎日クラスで一番になる」などという話はしていない。
それは「目標」と「作業」をごっちゃにしている。
また、「毎日問題集を解く」を実行すれば必ず成果が出ると、私は確信するが、
その成果が絶対「クラスで一番」になるわけでもない。
当たり前のことだけど、念のため。
 
なお、もし、「クラスで一番」を目標にしたいなら、そうなるための行程表を描き、
子供にも示すべきだと思う。
一日○○時間勉強すれば一番になれるとか、そういう単純なものではないだろうから。
 
クラスで「一番」とか「10番以内」とか「20番以内」とか、ひどい話だろうか。
しかし、「我が子が希望する学校に合格する学力を身につけてほしい」なら、おそらく、
たいていの親が思うことだろう。
そして、それは、「クラスで○○番になれ」とまったく同じ論理構造だと思う。
 
それは、どうすればいいのか?
いや、私が聞きたいです。
でも、そのためにも、「毎日問題集」なんかが、役に立つと思うわけですよ。