子供の勉強に関する思考実験 最終回

「続けるとためになりそうなこと」を続けても、その成果がすぐに見えない。
ということはありそうだ。
しかし、続けてみても、本当に成果がないのはどういう場合だろうか。
それは、次のような場合ではないだろうか。
 
・方向がはじめからずれていた場合。
たとえば、「野球をうまくさせたいのにサッカーの練習をさせていた」ような場合。
これは、なさそうでありそうなことだ。
「百マス計算をさせたのにちっとも数学の成績が上がらない」などというときに。
(百マス計算はすばらしいが、数学の学力全般を上げる力はない。)
 
・親(指導者)がからまわりする場合。
子供は一足飛びにいろいろなことができようになったりするが、また、「昨日できた
ことが今日はできない」なんてこともよくある。
子供の成長を読み違えて、いらいらしたり、がっかりしたり、あるいは無理に速度を
上げたりすれば、結果として、成果は何も得られないだろう。
 
これらは、親(指導者)が気をつけていれば問題ないと思う。
気をつけるとは、
 
 ・課題はリーズナブルなものとする。
 ・あせらず、気長にかまえる。
 
である。
 
「課題はリーズナブルなものとする」とは、たとえば、「計算力を上げたいなら、
計算練習をさせる」ということだ。
パズル的発想力を上げたいならパズルを解かせる。
テストの点を上げたいなら、テスト勉強をさせる。
当たり前のことではないだろうか。
 
「あせらず、気長にかまえる」も当然のことであると思う。
子供を見ずに過剰に勉強(や運動)をさせてしまうのは論外だと思う。
そういうことはしないという仮定で考える。
すると、数学の勉強をさせたなら、させていない場合より、数学力がアップするに
決まっていると思う。
もちろん、「数学の勉強をさせたがために数学が嫌いになってしまう」というような
逆効果には注意しなければならないと思うのだが。
 
私は、学力向上には、「創出、伸展、強化、変更のフェーズ」があると思う。
何度も書いたが、創出期や変更期は、本人がかなり苦しむことになるだろうし、また、
創出期がなかなか終わらないことがあることなども主張しておきたい。
 
終了。