子供の勉強に関する思考実験2

子供に、「家の周りグルグル」とか「100マス計算」とか「ひらめきパズル」とか
「読書」とか、とにかく何か、「脳や筋肉の発育に良さそうなこと」を継続的に
させたいとして、それがなぜなかなかできないか、つまり、継続させづらいか。
という問題である。
(以下では簡単のため、「家の周りグルグル」や「100マス計算」などを、
 まとめて「継続的にさせる何か」とよぶ。)
 
端的に言うならば、それは、
 
 楽しくないから
 
であろう。まず、子供にとって。 
 
発育には、強すぎない「負荷」が必要だと思う。
「継続的にさせる何か」は、そういう「負荷」である。
そして、「負荷」である以上、それが全面的に楽しいものでないことは当然だ。
 
しかしまた、子供は(実は大人も)一定の「負荷」を楽しむことも事実だと思う。
白黒タイルの道で、わざわざ黒いタイルだけ踏んで歩いて見せるのも、自分から
自分に「負荷」をかけているのだ。
 
「継続的にさせる何か」には、楽しくない要素もある。それはしかたがない。
としても、実際に続けられる場合と続けられない場合がある。
続けられないのはなぜか。ということである。
それは、続けていくうちに、ほぼ全面的に楽しくなくなるか、楽しい要素が
前面に出てくるかの違いだろう。
 
それでは、どういう場合に楽しくなくなるのだろう。
それは、次のようなことだろうと思う。
(もちろん(?)、厳密な分類ではない。)
  
 ・成果がない。
 ・成果が感じられない。
 ・親が意義を認めない。
 ・親が意義を認めているように子供に感じられない。
 
簡単ところから片付けたい。
「成果がない」場合。
やめましょうよ。終了です。
ただし、成果がないかどうかの評価は、非常に難しいと思う。
それは、あとで「成果が感じられない」を論じるときに。
 
「親が意義を認めない」場合。
親がやらせてることなのに、親自身が意義を認めていない、なんてことがあるのか。
と言うと、結構あるような気がする。
厳密に言うと親の心変わりである。
テレビや雑誌を見て、「これはいい!」と思って、準備をして子供にやらせる。
そして、親自身が、すぐに飽きる。
まずいですね、これは。自戒です。
 
続く。