家庭における数学学習法3

世の中には極論が多い。(あ、そうそう。私も極論主義者だった。(笑?))
数学に関して言えば、「数学の問題は公式やパターンを暗記して解くものだ。だから暗記せよ」
と言う人たちと、「数学では思考力が大切だ。だからひたすら思考しろ」という人たち。
実は、前者は、自分たちがあまり数学が得意でないことを自覚していると思う。(すんません。)
いずれにしても、「暗記重視」は、受験をクリアするためだけの方法であり、理系一家の我が家
では採用できない。
(ちなみに、社会科に関しては、私自身、受験のために「暗記重視」を採用した。
 だから、暗記重視が絶対悪いと言っているのではない。)
 
一方、思考力重視を主張する人たちの多くは、「思考力」というものを神聖視しすぎのような
気がしてならない。
いや、確かに思考力は神聖だ。
が、「ひたすら思考力問題を考え続けていれば、やがて何でも解ける思考力がつく」などとは、
とうてい思えないのだ。それができるのは天才だけだろう。
(私の想像では、歴史的天才であっても、たいていは誰かの指導を受けているように思う。)
 
思考力は重要(いや、私にとっては最重要)だが、これも他の能力と同じで、その能力開発には、
指導と訓練が有効だと思う。
「思考力をつけたければ、ただひたすら思考せよ」と言うのは、「速く走れるようになりたければ、
ただひたすら走れ」と言っているようなものだろう。
それは確かにその通りなのだが、(正しい)指導と(正しい)訓練(法)がほしいでしょ。
「走力」に関しては、異論はあまりないと思う。
が、「思考力」になると、異論がありまくり、、、のように見える。
つまり、「思考力を得るための指導と訓練」は何かと言うと、「ない」「必要ない」も含めて、
さまざまな意見があり得るからだ。
そこで、私は、一般的には、「理解を深めるための反復学習」がそれだと、謹んで思うのである。
 
数学学習法のイメージとして、私は、2つのアナロジーを持っている。
それは、道具のアナロジーと道(あるいは町)のアナロジーである。
私はどちらも有効であり、したがって、両立すると信じているのだが、2つ併記すれば、
混乱すると思うので、ここでは道具のアナロジーを用いる。
(道(町)のアナロジーは参考までに、以下に書く。)
 
日曜大工について考えてみよう。
たとえば、棚を作るにしても、ノコギリやトンカチが必要だ。
私は、思考にも(先人たちが作り上げた)道具があると思う。
三平方の定理とか方程式の手法などだ。
棚を作るときにノコギリやトンカチを使うように、数学の問題を解くには三平方の定理
方程式を使うだろうと思う。
 
さて、うまく棚を作るには、事前にノコギリやトンカチの使い方を練習しておくべきだろう。
数学でも同じではないだろうか。
ノコギリで板を切る練習をするように三平方の定理の使い方の練習をし、
トンカチで釘を打つ練習をするように方程式の練習をするのである。
特別に才能があるなら、1、2回練習すればオーケーかもしれない。
そうでなければ、何回か繰り返したほうがよいと思う。
繰り返し、三平方の定理や方程式の使い方を練習するのである。
 
これは、定理やパターンの丸暗記ではなく、より複雑な問題を解くための練習である。
そして、これこそ私の主張なのだが、そのような練習を繰り返すことで、実は、三平方の
定理や方程式をより深く理解できると思うのである。
これが、私の考える「理解を深めるための反復学習」のイメージ(の1つ)である。
もちろん、深く理解できてこそ、うまく使いこなせるのだ。
 
続く。