道のアナロジーなど

息子と話をして、息子はより特殊なイメージを持っていることに衝撃を受けた。
それをここで詳しく書くのは控えたいが、それは道具のアナロジーに近いようだ。
そこで、「家庭における数学学習法」では、道具のアナロジーを採用した。
 
以下、道のアナロジー・・・・・・・・・・
 
道のアナロジーで考えたい。
ある道があったとする。
はじめてその道を通るとき、初心者なら、道案内が必要だろう。
(安全のため、徒歩ということにします。)
そして、そのとき、たぶん、あんまり周りを見る余裕はないと思う。
でも、同じ道を2度3度通ると、だんだん景色がわかってくる。
そして、「あ、あの横道に行くと、あそこに出るんじゃないかな」なんて気がつくこともある。
もっと慣れると、効率のいい歩き方もわかってくる。
そして、「ちょっと別の道を試してみようか」なんて思って、別の道を試したりする。
そうして行くうちに、その町のマップが頭に入る。
そんなことを続けていると、道案内の頼み方もわかってくる。
道案内自体が不要になってくることもある。
 
私は、数学学習における「理解を深めるための反復」とは、そういうことであると思う。
 
1つの問題をはじめて解くとき、初心者なら、解説が必要だろう。
そして、そのとき、たぶん、あんまり深く考える余裕はないと思う。
でも、同じ問題(本質が同じ問題)を、まじめに何度か解けば、もっと深くわかってくる。
そして、「あ、この問題、前に勉強したあれと関係があるかも」なんて気がつくこともある。
もっと慣れると、さらに効率的な解き方さえわかってくる。
そして、「ちょっと別の問題をやってみようか」なんて思って、別の分野を勉強したりする。
そうして行くうちに、数学全体(あ、いや、勉強している範囲でね)のマップが頭に入る。
そんなことを続けていると、例題の読み方、授業の聞き方もわかってくる。
自分だけで何かを考えられるようにもなる。
 
ということなのである。つまり、私がよいと思う数学学習法は、問題を「道」、数学を
「(道がたくさんある)町」にたとえるなら、
 
 ・はじめはまず一本の道(できれば一番の大通り)を歩いてみよう
 ・その一本の道に慣れるまでは、そこを何度か歩いてみよう
 ・慣れてきたら、その道から見える景色を楽しもう
 ・もっと慣れてきたら、ちょっと別の道にも行ってみよう
 ・「不慣れ」と感じる道は、やっぱり繰り返し歩いてみよう
 ・そうして、いつか町の中を歩き回ろう
 
なのである。
 
道のアナロジー終わり・・・・・・・・・・ 
 
このアナロジーは、「数学を学ぶ」という方向に適した見方かもしれない。
道具のアナロジー(後日)は「問題を解く」「数学を使う」という方向に適した見方かと思う。