数学のパターンについて

最近、「数学は暗記」という話を、よく聞く(よく見る)。
 
私が最初に見たのは、栗田先生の著作で、その主旨には(少なくとも受験数学に
限定すれば)大いに賛成だった。
しかし、最近見かけるいろいろな方の「数学は暗記」は、必ずしも私の考えと一致
していないようだ。
みなさん、それぞれ、実績ある方々であり、また、多くのことで参考になるご意見を
お持ちなのだが、「この1点に関しては、意見が合わない」ということが多いのだ。
そのような立派な方々への反論ではなく、自分の考えをまとめるという意味で、
ここに私論を書いておきたい。
 
「数学は暗記」というのは、たいていの場合、「問題を解くパターンを覚える」と
いう意味だと思う。基本的に賛成である。
意見が違う(ような)のは、「パターンの扱い」についてである。
 
たとえば、先日、「数学でつまづかないための算数ドリル その3」
(以下では、「ドリル その3」と略記する)でいくつか問題を書いた。
これらは、すべて
 
 値段の問題
 
であると思う。
つまり、言ってみれば、「値段の問題パターン」というパターンがあるのだ。
(私が勝手につけた名前である。)
さらに詳しく見ると、そのパターンは
 
 原価と利益率から利益を計算するパターン
 定価から割引をするパターン
 利益と利益率から原価を出すパターン
 利益と定価から原価を出すパターン
 
などに、細かく分類されるかと思う。
そこで、「値段の問題」に対処するために
 
 そのパターンを分類し記憶する
 
という処方箋が考えられるだろうと思う。
 
私は、その考え方に不賛成なのである。
確かに、「ドリル その3」には、いろいろなパターンが見えるかもしれない。
しかし、これらは、すべてたった1つの問題
 
 1000円の1割はいくらですか。(100円)
 
の変形にすぎない。
つまり、「1000円の1割はいくらですか」が解ければ、あとの問題も、理論的には、
解けるはずなのだ。
(「いや、そんなことはない」という反論もあるかと思う。
 事実を言えば、「そんなことはない」である。だから、「理論的には」と書いた。
 その話はあとにしたい。)

「ドリル その3」で子供に、まず、理解させ、覚えさえたかったことは、
 
 値段の問題のパターン
      = 「1000円の1割はいくらですか」の解き方
 
であって、その複雑(?)な派生パターンではないのである。
 
やっぱり続く。