ノート私論4

要するに、まとめノートは、本の補助であり、また、何度も読み直すように
作るべき(あるいは、「作るとよいのでは」)という、主張である。
 
それでは、どのように作るべきなのか。(あ、もちろん、私論である。)
 
ノートは本の内容を学ぶために作るのである。
本体は本だ。(言いにくい言い方だ。)
ということは、ノート自体は完璧でなくてよいはずだ。
これは、私のようなマヂメ人間には、とても重要なことだ。
 
「中学の数学」を例に取ってみよう。
(ただし、前に述べたように、勉強しているのは、子供ではなく、
 学校や塾に通っていない大人、という設定である。)
中学数学の参考書を読んで、たとえば、「三平方の定理」というものを
学んだとしよう。
ふん、ふん、なるほど、これは、覚えておいた方がいいな。
と思ったとしよう。
 
そういったことを「まとめノート」に書いていくのだが、上記の私の理屈に
従うなら、そのノートに「三平方の定理」のすべてを書き記す必要はない。
書くこととしては、次のようなものが考えられる。
(おお、なんだか、最近書いた話とおんなじだぞ。)
 
 「三平方の定理」(つまり、名前)
  説明
 「a^2 + b^2 = c^2」(式)
  図
  証明
  例
 
もちろん、書きたければ、これらのすべてを書いてもよいだろう。
しかし、省略してもよいのだ。
私は、なるべく取捨選択して、エッセンスと思われることを書いたらよいと思う。
むしろ、「まとめノート」のポイントは、何を省略するか、である。
と思うのだ。
 
そのようにいろいろ省略して書いたノート(だからこそ、「まとめ」なのだ)は、
あとでざっと見て復習するのに役に立つ。
何より、いろいろ省略されているから、すぐに読める。そして、
 
 ざっと見ていて、省略したことを思い出せれば、
 その項目はよくわかっている
 
ということになるわけだ。
もし、思い出せなければ、本を見ればいいのだ。
 
これが、私の考える「まとめノート」である。
 
で、具体的に、「名前、本文、式、図、証明、例」の中で、省略に省略を
重ねて、最後に何を残すか、と言えば、私なら、「名前」を選ぶ。
ということを前に書いたのだった。
 
もちろん、「絶対に証明は省略したくない」という人もいるだろう。
「例こそ重要だ」ということもあるだろう。
何を選ぶかは、個性だから、自分で決めればよいと思う。
私は、「名前」を一番重視するが、もうひとつ重視したいのは図である。
それは、「図」自体が、エッセンスの結晶のようだからだ。
 
続く。