ノート私論3

本の内容がしっかり頭に入っているのなら、もうその本を読み直す必要はない。
かもしれない。(食べちゃうとか?)
しかし、そうでないなら、何度か読み直すべきである。
読み直すことで、新しい発見すらある。
 
それなのに、なぜかそれができない。あるいは、難しい。ということはないだろうか。
えっ?それは、私だけ?・・・でも、ないですよね。
 
えーまー、とにかく、私には難しい。
その理由を考えた。
いや、もちろん、単におっくう、ということはある。
が、それ以外にも理由があるような気がする。
 
それは、普通の本は、
 
 初心者にもわかるように丁寧に書いてある
 
ということだ。
(「数学の本は難しく書いてある」という人がいるが、あれほど丁寧な本は珍しい。)
 
普通の本には、背景、概要、用語説明、主題、補足、例、例外、注意などがぎっしり
つまっているのだ。これは、はじめて読む人にわからせるための当然の措置と言える。
が、「わかってしまえば、そんなに詳しい説明は不要」ということもあると思う。
ところが、そういう部分を本から削除することはできない(もちろん、できても
いろいろな意味でやめるべきだと思うが)。
だから、本を読み直そうとすると、
 
 「よくよくわかった事」と「よくわからない事」と
 「何度読んでもまったくわからない事」と
 「しっかり覚えた事」と「よく覚えてない事」
 
が混然一体となった文章を読むことになる。
これは、大変、効率が悪いと言わざるを得ない。
 
もちろん、「よくよくわかった事」にも再読の価値はある。
少なくとも私の経験では、「わからない事」がわからないのは、「よくよくわかった事」と
思った事が実はわかっていなかったり、わかっていても忘れていることなどが
原因であることが多い。
だから、むしろ、「よくよくわかった事」こそ、再読すべきなのかもしれない。
 
ただ、それにしても、初心者時代にはありがたかった詳しい説明が、だんだん冗長で
余計なお世話になってくることもある。そういったものが「いまだ難しい事」や
「(わかったけど)なかなか覚えられない事」と混じっているのは、やはり読みにくいのだ。
 
ノート不要派の人の中には、「本の重要個所にマークを付け、そこだけを読み直せ」と
主張する方もいる。
それは、おそらく上述のような事態を避けるための、すばらしい方法だと思う。
だから、その方法でうまくいけばそれでいいと思う。
 
しかし、それなら、重要個所をノートに抜き書きして、それをながめていてもよいのでは
ないだろうか。
それぞれに、長所短所があるだろうが、ノートを使う良さをあげるとすると、
 
 ・ノートを書くときに考えることができる。
 ・ノートは(本のマークより)容易に変更できる。
 ・余計なもの(自分が書かなかったもの)は目に入らない(と言うか、ない)
 ・愛着が持ちやすい(これは、個人的感想かも)
 
ということになる。短所は、
 
 ・字を書くときに時間がかかる
 
であるだろう。
 
だから、長所短所を見極めて、自分にとって最適な方法を見つければよいのだ。
「ノートが絶対よい」と言っているわけではない。そもそも、好みの問題かもしれない。
 
ちなみに、ノート(まとめノート)を作る場合、大前提になっているのは、
 
 それを何度も読み直す
 
ということである。
一度書いて終りの「まとめノート」は、「ノートに書き込む時間が無駄」となる確率も
高いかと思う。
「覚えるために書く」のなら、それは、「まとめノート」ではなく、「作業ノート」だ。
それなら、一度書くだけでよいだろう。
しかし、一度書いて覚えられなければ、何度も書く(作業ノートを何冊も作る)
必要がある。
それは、また、別の世界だ(できれば、後述したいが・・・)。
 
私の主張は、
 
 まとめノートは本のエッセンスを短時間で見直すために有用
 
ということなのである。
そして、「まとめノート」は、そのように書くとよいのではないだろうか、ということなのだ。
 
続く。