ノート私論2

このブログは考えをまとめるために書いている。
そのため、しばしば、途中で方針が変更されるのだが、どうか、ご容赦を。
 
で、書き始めて思ったのだが、大人と子ども(学校や塾に行っている人)では、
かなり事情が違うような気がしてきた。
ので、まず、普通は学校にも塾にも行っていない大人の話からはじめたい。
(子供は、「小さい大人」ではないが、大人のことを考えることで、
 子供のことを考えることもできるだろうと思う。)
 
さて、学校や塾に行っていない大人が勉強する場合、たぶん、本を読むことに
なるだろう。それが、今の私だ。
その場合、ノートを作る方法と作らない方法がある。
 
ところで、勉強ってなんだろう。
ここでは、新しい考え方を理解し、新しい知識を獲得し、新しい技術に習熟する
ことと考える。
 
ノートを作る・作らないは、その題材によっても変わると思う。
たとえば、「新しい考え方を理解する」だけが目標で、「新しい知識を覚える」や
「新しい技術に慣れる」がほとんど必要ない場合、単純に本を読んでいけばよく、
ノートなど作らなくてよいかもしれない。
もちろん、それは、「新しい考え方」が理解さえできれば、その内容は、努力し
なくても覚えられ、また、自分の人生に容易に適用できる・・・という場合である。
 
私は、「(純粋?)数学」がそういうものだと思っていた。
まあ、私の勉強している「純粋数学」はどこまで「純粋」かあやしいものだが、
最近の勉強の経験からすると、(純粋?)数学でも結構覚えることがあり、
習熟すべき技法もあるような気がする。
  
ま、私の数学観は、どうでもよくて、いずれにしても、普通の勉強では、
「覚えるべきこと」も「慣れるべきこと」もあるので、そのセンで考えていきたい。
 
そのような場合でも、「ノートは不要」「むしろ作るべきではない」と主張する
人々がいる。
もちろん、人それぞれなので、反論するつもりは毛頭ないのだが、私個人は、
ノートを作った方が効率的な場合も多いような気がする。
だから、そんなことを書きたいのだ。
 
「ノート不要論者」の主張(の多く)は、
 
 ・ノートを書く時間が無駄
 ・そんな時間があったら本を繰り返し読むべき
 
ということだと思う。
これは、十分に意味のある意見であり、よく検討しなければならないと思う。
 
実際のところ、本を何度も読むことで勉強が済んでしまうなら、ノートを書く
必要はないと思う。
逆に言うと、「本を何度も読んでいるのに、どうも勉強が進まない」と感じるなら、
ノートを作ることを検討してみてよいのではないか、と思うのだ。
 
そう言うと、
 
 ・いやいやいや、それは本をちゃんと繰り返し読んでいないからだ
 
という「反論」もあるだろう。
実際のところ、「その通り」であることも多いと思う。
 
私の最近の経験によれば、本は(通常は)何度も読まなければいけないようだ。
(若い頃はあまりそう思わなかった。
 だから、これは、もしかすると、私が老人になったからかもしれない。
 が、まあ、ある程度の普遍性はあるような気がする。
 むしろ、老化して賢くなった・・・とか?
 この件は、別途、お話ししたい。
 ので、まあ、今の話を続ける。
 なお、「何度も」の重要性は、"「行ったり来たりコース」対策"でも主張している。)
私が言いたいことは、「まとめノート」を作ることには、当然、
 
 ・よく考えることができ、理解が深まる
 
という効果が期待できるが、それ以外に、
 
 ・勉強の「繰り返し」の回数を増やせる
 
という効果もあるようだ、ということなのだ。
 
続く。