今の問題と遠い記憶・1つの続き

続くとは思わなかったけど。
 
件の小学校の先生の授業進行は、もしかすると、ゆとり教育のひとつの理想の
ような気もする。
私は、ゆとり教育支持者ではないので、想像なのだが。
何しろ、みんなで話し合ったし、その結果、少なくともそのクラスの1人の
少年は50を過ぎてまで思い出し、人生の参考にしているくらいなのだから。
(実のところ、思い出す限り、私の先生たちは、上手な授業をしていたと思う。)
 
大人になった元塾講師として言うならば、「脳と心臓はどっちが大事」という
質問は、大変興味深いものだが、誰がいつ発してもうまく機能するものでも
ないと思う。
こういう質問が子供たちの思考と議論をよびだすような雰囲気作りと、
タイミングが必要だ。それは、ひとえに、「その先生の力」によるだろう。
 
とは言え、あの質問に隠された「子供をひきつけるもの」を、浅学菲才の身
ながら、論じてみたい。
 
あの質問にある「子供をひきつけるもの」、それは、
 
 ・1番を問うた
 ・一見強引で理不尽なものであった
 
ではないかと思う。
 
子供は(たぶん、大人も)「一番」が好きである。
「一番強いのは」「一番かわいいのは」「一番好きなのは」「一番嫌いなのは」、
こういう話題なら、子どもたちは、いくらでも話し続けられるような気がする。
 
さらに言うと、ちょっとしたことだが、「(私が)一番好きなのは」と違って
「一番大事なのは」という問の答には、相手を説得する客観性がなければならない。
これもうまい点だと思う。
もし、質問が、「みなさんは体の部分の中で何が一番好きですか?」というもの
だったなら、クラスの議論は別の方向に行ったかもしれない。
結論は「それがみんなの個性です」なんてことになったかもしれない。
それがいけないわけではないし、むしろ、うまくいく場合もあるとは思うのだが。
 
また、この質問は、「一見強引で理不尽」だと思う。
小学生だって、「脳と心臓どっちが大事?」と聞かれれば、
「その質問、おかしくない?」と思うと思う。
私はそう思った。
たとえば、その辺のおじさんがそんな質問をしたら、「変なおっさん」で
終りになっていたと思う。
「先生」という教室における絶対の権力者かつ最高の賢者が発した質問で
あったからこそ、みんな真剣に考えたのだと思う。
 
そして、その質問の強引さ理不尽さが、私たちの中の何かをインスパイアした
のではないだろうか。
 
なお、言うまでもないと思うが、ここで語っているのは、質問の強引さ理不尽さ
であって、先生の強引さ理不尽さではない。
先生が、「さあ、正解を言え。まちがったら給食抜きだ」と言えば、先生が強引で
理不尽ということになるだろうが、先生は、議論の間、終始、笑っていたように思う。
 
この続きは、これで終了。