中学生の「圧力」の問題に思う2

「圧力」を学ぶことの「いろいろな意味」について、ランダムに。
(注意:論旨を変えかねない後記が最後にあります。)
 
昨日、言いたいことは言った。あとは、ほんとの雑談。
昨日は、こんな問題を考えたのだった。
 
 20平方メートルの面に100N(ニュートン)の力が加わっている。
 そのときの圧力はいくら?
 
それにしても、なんて、すっきりした問題だろう。
ところが、現実は、そんなにすっきりしていない。
上記の問題は、「数学的な問題」(あるいは、数学の問題)である。
 
さて、数学と理科の違いはなんだろう。
ひとつには、「数学は頭の中、理科は現実」ということがある。
(あ、ごめっ、いや、ま、その、落ち着いて。)
 
現実の世界では、「100Nの力?どうやって出したの?」という
問題が発生する。
それは、たとえば、「10kgの重りを乗せた」(中学生ワールドでは、
100gの物体に1Nの重力がかかるのだそうだ)かもしれないし、
「バネ(的な何か)で押した」のかもしれない。
すると、「その重りは本当に10kgなの?どうやって計ったの?」とか
「バネの力はどうやって知るの?」という問題が発生する。
 
実際のところ、たかが「100Nの力」を示すために、実験装置を組み、
測定しなければならないのだ。
それを問題にするならば、当然、長文になる。
 
さらに言うならば、実験には誤差がつきものだ。
だから、誤差をなくすために、何度も測定しなければならない。
また、いろいろ条件を変えて確かめるのもよいだろう。
これらは、大抵、表のようなものにまとめられる。
そういうところを問題にするならば、問題には表が現れるわけだ。
 
これが、理科(現実)である。
このような雑駁な事実の中から、真実を拾い上げるのが理科なのだ。
理科万歳!
 
だろうか?
ごめんなさい、私は、あんまりそうとは思えない。
上に書いたことは、確かに、そう。
ただし、それは、研究者の仕事だろうと思う。
中学生は研究者ではない。
中学生にそういうことを要求するのは、求めすぎではないだろうか。
 
確かに、実験装置を組んでどうするか、じっくり考えることが
できるなら、それは、すばらしい初等教育だろう。
しかし、実際には、中学校の理科の時間がそんなにあるとは思えない。
 
すると、「長文で表が出てくるような問題」は、現実とはあまり
関係ない「問題のための問題」になってしまうのではないだろうか。
 
う〜ん、なんだかすみません。
あと、これは、圧力の問題に限定したことでもないですね。
まあ、「長文で表が出てくるような問題」は、臨場感あふれるように
説明し、考えさせることで、勉強になるかもしれないですね。
と言うか、そのようにしやうと思っとります。
 
後記:
「実際には、中学校の理科の時間がそんなにあるとは思えない。」
と、書いたのだが、一応、現役中学生の息子に聞いてみた。
すると、「圧力の実験はしなかったが、全般に、実験そのものはしている」
ということだった。
そうだとすると、上記の論は、実態に合わない妄想かもしれない。
すみませんでした。
ただ、「そういうこともあるかも」ということで、残します。
私の勘違いであれば、ご容赦ください。