名前を言う数学教育法

昨日の「俺の名前を言ってみろっ」の続編である。
数学教育法を思いついちゃったのでここに書きとめておきたい。
ただし、論証も実践もしたことはない、昨日今日の思いつきである。
 
数学は体系的な学問であるが、実際に数学を使う場合は、
その壮大な体系より、ちょっとした用語がキーになることが多いと思う。
たとえば、「方程式」における「移項」。
方程式を習い始めた中学生は、この言葉が大好きである(と思う)。
 
「はい。この項を移項すると答が出るね」なんて言うと、中学生は、
目をキラキラさせるのだ。(いや、20年前の中学生は、そうだった。)
実際のところ、「移項」というのは、計算の便法(現象論)にすぎない。
本当にやっていることは、「どちらかの辺から消したい項」の逆符号の項を、
方程式の両辺に足しているだけのことなのだ。
 
しかし、初心者ほど、「どちらかの辺から消したい項の逆符号の項を
方程式の両辺に足す」などと言われると嫌になってしまう。
それより、「この項を移項すると」と言った方が、よくわかるのだ。
 
このように「本来複雑な操作や構造」を短い名前でよんでしまうことは、
非常に有用なことだと思う。
数学(や他の学問)の本質的な部分の1つではないだろうか。
(これを、「抽象化」という。と思う。)
 
もちろん、本当の意味で数学ができるようになりたいなら、「移項」とは
「どちらかの辺から消したい項の逆符号の項を方程式の両辺に足す」ことだと
わかっていなければならない。
つまり、必要なときには、その定義に戻ってこれなければならないのである。
それは、その通りだ。
 
しかし、たとえば、山田君と友達になりたいなら、まずするべきことは、
「山田君の人となりをじっくり理解すること」ではなく、「山田」という名前を
おぼえ、よびかけることだと思う。
よびかけながら、山田君を理解していけばいい。
 
「山田君」のかわりに「移項」を考えよう。
やはり、数学である以上、「移項」の定義は、一番はじめに、説明しなければ
ならないだろう。まあ、「移項君」の簡単な紹介だ。
しかし、大事なことは、その定義をいつまでもいじくりまわすことではなく、
「移項」という言葉(つまり、名前)をおぼえさせ、使わせてみることだと思う。
そして、方程式が解けるようになったら、もう一度、「移項」の定義に戻る
のもよいだろう。
 
ここで
 
 簡単な説明
   ↓
   練習
   ↓
 より深い説明
 
という手順自体は、昨日今日思いついたことではなく、私がン十年もやってきた
ことである。このブログにも、何度も(?)書いたように思う。
 
思いついたというのは、これらの指導で、
 
 意識して「名前」を言う・言わせる
 
ということなのだ。
 
たとえば、実際の方程式を見ながら、ゆっくり時間をとって、
「ほら、ここで移項するよ」というように、なるべく「移項」という言葉(名前)
を使いながら教えていくのである。
あるいは、ちょっと進んだら、わざと何も言わずに、移項してみせて、
「今、何をしたかわかる?」と聞いてみるとか。
(生徒が「移項した」と答えれば、正解。)
 
「移項」が完全に使えるようになって、もう一度、「移項」の説明をしなおす
ならば、そのときにも、ていねいに「名前」を使って説明する(説明しなおす)
ことが重要だと思う。
ここで使う名前は、「方程式」「両辺」「項」などである。
 
えーと、書いてみると、当たり前のことにも見える。
上記の「ほら、ここで移項するよ」なんて説明は、私自身、大昔からしていた。
いや、どの先生もそうだろう。
それでも、私はこれまで、あまり「名前」を重視していなかったように思う。
そして、今は、「名前」が重要だと思うのだ。
 
これは、言わば意識の問題だ。
意識してもしなくても、表面的な教え方にあまり違いはないかもしれない。
違いが出るか出ないかは、教える人の考え方次第だろう。
しかし、少なくとも私の教え方は、これから、微妙に、しかし、確かに違って
くるように思う。
 
言いたいことは言い切った。
が、具体例をあと1つ、続きで。