伸展と強化について11

「知識間のつながりを見つけていく」ために考えた3つの方法の最後の2つは
 
・参考書を1冊選んで極めさせる。
・ノートを作らせる。
 
だった。
なんだか当たり前のようだが、私的には、大発見だと思っている。
上記は、あくまでも、「伸展と強化」という文脈においての話だ。
以下にその説明(まず参考書の方)をしたい。
 
「知識のつながりを見つけていく」という作業は、「すでにある知識と
新しい知識を比較検討する」ということだ。
したがって、自分の中にしっかりした知識の体系(の該当する部分)があれば
それはやさしく、なければ難しいと思う。
そして、大抵の人は、「しっかりした知識の体系」がないからこそ、勉強して
いるのであり、ここが難関になるのだ。
 
ところで、前に「知識の体系」は個人的なものでもあるが、また、人類共通的な
ものでもある、ということを書いた。
頭の中に「しっかりした体系」がまだないのなら、とりあえず、他人のものを
代用させていただくのがよいだろう、というのが、私のアイデアだ。
 
他人の知識の体系を直接見ることはできないが、その産物が、「参考書」だ。
だから、「参考書」を使おうということだ。
「参考書を1冊選んで極めさせる」とは、そういうことである。
 
この場合の参考書の使い方(つまり、「強化」での使い方)は、
「頭から読んでいく」というのではなく、何か新しい知識を覚えるたびに、
その知識がその参考書のどこにどんな風に記述されているかを調べてみる
ということだ。
「参考書」を言わば「自分の頭の中の知識の体系の延長」のように使うわけだ。
そうすることによって、知識間のつながりを自分で見つけ、最終的には、
借り物ではない、本当の「自分の知識の体系」を作り上げていくことができる
のではないかと思う。
 
ここで、次のような疑問がでるかもしれない。
 
 では、その新しい知識は、いつどこから得るのか?
 別の参考書から得るのか?
 
この質問に対する一般的な答は、「どこからでも」である。
今、上記のように1冊選んだ参考書を「基本参考書」と呼ぶとする。
すると、私の主張は以下のようになる。
 
 基本参考書以外の参考書を読んだときでも、学校の教科書を読んだときでも、
 先生に何かを教わったときでも、テレビで何かを見たときでも、とにかく、
 どこであれ、「新しい知識」を得たときには、なるべく、基本参考書の
 どこかに関連する項目がなかったか考えてみよう、
 できれば、実際にページをめくって関連する項目を探してみよう、、、
 
ということなのだ。
(もちろん、「なるべく」「できれば」の話だ。
 いつもいつもそんなことをしていては身が持たないだろうから。)
 
ただし、別の参考書を読むかどうかは自由だし、少なくともはじめのうちは、
読まない方がいいと思う。
そもそも、「どこであれ」には、基本参考書自体も含まれるのだ。
 
基本参考書も、普通に参考書として使うなら、頭から読むときがあるだろう。
私は、そうすべきだと思う。
それは、「新しい知識を覚えているとき」だ。(つまり、「伸展」だ。)
しかし、ただどんどん読み進めるのではなく、なるべく頻繁にその参考書の前の方を
見直して、今勉強していることと、以前に勉強したことに何か関連がないか、
調べてみよう、、、ということなのだ。(こちらが、「強化」。)
 
このような作業を複数の参考書で行うのはかなり難しいので、「1冊選んで」という
ことになるわけだ。
 
ちょっと考えると、これは、実行不可能と思うかもしれない。
「いつも前の方を見直していて前に進めない」という状態になりかねないからだ。
しかし、それは、極端な理想論に陥った場合だと思う。
大人なら、実際にやってみて、徐々に、「前を見直すタイミング」がつかめると思う。
(たとえば、「1章読むたびに」とか。それは、個人の選択だが。
 さらに言えば、大人の場合、「前」だけでなく、「後」を見るという
 離れ業もできると思う。)
一方、子供の場合、「前を見直す」ということ自体が難しいと思う。
それは、指導者が声をかけてあげるのが良いと思うのだ。
「これは、前に勉強した、○○と関係があるんじゃないかな。
 ここで、ちょっと見直してみようね。面倒くさがっちゃだめだよ」と。
 
さて、そんな風に進められると思うのだが、いつまでも借り物の知識の体系では
よくないだろう。
そこで、次に出てくるのが、ノートである。
 
続く。