伸展と強化について8

人間は楽しいことしかできない。
何かを勉強していて、覚えることに疲れたら、それは楽しくないし、
結局、たぶん続けられない。
だから、「覚えることを楽しくしよう」ということが考えられる。
ざっと思いつくことを書くと、
 
・重要なテストで良い点を取ったときのことを想像する。
・小さなテストで良い点を取る。
・友達と小さなテストや模擬試験で競争する。
・友達と楽しく覚える。
 
などだろうか。「重要なテスト」とは、もちろん、定期試験や入学試験の
ことである。成績向上の目的の大部分はこれだろうから。
 
また、小さなテスト(小テストとか確認テスト)で良い点を取れると気分がよい。
やる気もでるだろう。
これは、先生がうまい具合に(ちょうど良いタイミングで、ちょうど良い
難易度の)テストを出してくれると大いに助かるのだが、
現実にはなかなか難しい。
(最悪のタイミングでめちゃめちゃ難しいテストを出されたり?)
だからと言って、先生をうらむのはすじ違いというものだ。
適当なテストがない場合、学習者は、自分で小テストを行うか、
自分の絶対の味方(親とか)に、ちょうどよいテストを出してもらうのが
良いと思う。しかし、それも、なかなか難しいものである。
 
「友達との競争」は心がゆがむほどやりすぎてはいけない。
友達は宝だから。
でも、ゲーム感覚のちょっとした競争なら有益だろう。
この方法は、そういう友達がいるかどうかによる。
 
「友達と楽しく覚える」というのは、私は、すばらしい方法だと思う。
ただし、「さあ、勉強するぞ」と言って誰かの家に集まって勉強する、
というのは、成功率が極めて低いようだ。
それより、「学校の帰り道なんかに、勉強(塾とかテスト)の話をする」が
よいと思う。これなら、うまくやっている人はいる。
 
と、書いてきたけれど、これらは、まあ、普通のことだろう。
私がこのエントリーで書きたかったのは、上記のような方法がすべて
あまりうまくいかないような場合(それでもトライすべきだと思うが)で、
しかも、やっぱり勉強を続けなければいけない場合の対処法だ。
 
それは、とりあえず「ひたすら覚える」をやめて、
「少し覚えてから、少し考える」をやってみるということだ。
「少し覚えたこと」を使って「少し考える」のである。
それで、何かがわかったとしよう。
すると、「少し覚えたこと」が、「無味乾燥な知識」ではなく、「楽しい知識」と
して定着していくのではないだろうか。
 
問題は、「何をどう考えるか」だが、まず、重要なことは、「何かがわかる」の
「何か」とか「わかる」って何?どういうこと?・・・だ。
 
それは、なんでもいいと思う。
重要なことは、「本人のわかった感」だ。
ここで、ちょっと例を出してみよう。
私は、以下のようなときに、「わかった感」を得ると思う。
 
・国語で「雨降って地固まる」ということわざを習った。
 そういえば、前にお母さんが、そんなことを言っていたと思い出した。
 そして、「ああ、そういうことだったのか」と思う。
・本を読んでいたら習ったばかりの漢字が出てきて読めた。
・世界史の勉強をしていて、アメリカ合衆国憲法ができた年を習った。
 それが、日本史で習った寛政の改革がはじまった年だと気がついて、
 「と言うことは、ワシントンと松平定信って、だいたい同時代の人なんだ」と
 おもしろく感じる。(ワシントンの方が少し年上のようです。)
・小学校の理科でハルジオン、ヒメジョオンという意味不明な花の名を覚えた。
 あとで、これらは、漢字で書くと、春紫苑、姫女苑と知って、なるほどと思う。
 (「苑」は、実は、もう少し難しい字のようですが、よくわかりません。)
・夕方、三日月が西の空に出ているのを見て、習った通りだと思う。
・英語の勉強のつもりでバットマンを見ていても、何言ってるんだかわからない。
 ところが、ひとつだけはっきり聞こえた。
 「You can say that again.」
 これって、確か、「その通り!」と習ったものだと思い出し、うれしくなる。
 それから、「What the xxxx do you think you are?」という文も聞き取れて、
 「ああ、これ、高校で習った構文だ」と気がつく。(実話です。xxxxは伏字。)
・中点連結定理って、三角形の相似の応用だと気がついた。
・「ホモロジー代数入門」(岩井斉良著)の最初の方に、「余核の普遍性」という
 ことが書いてあったが、なんだか当たり前だなあという感想しかなかった。
 ところが、その本を読み進めると、ナントカ同型定理というものは、
 すべて(?)これの言い換え(?)だということがわかって(?)感激した。
 
まあ、そんな感じです。
続く。