「できるようになる」について4

いろいろなことができようになるのはどういうことか。
「逆上がり」「水泳」「英会話」で考えた。
ここまでをまとめると、
 
・基礎体力は重要であるが、それだけでは足りない。
・コツをつかむことが必要である。
・コツは教わったり、できる人を見ることで学ぶことができる。
・恐怖がコツをつかむ邪魔をすることがある。
・環境が整っていないとコツはつかみにくい。
・実際にできる人がそばにいることが一番「良い環境」。
 
ということだった。
で、「数学」の場合。
 
何度も何度も書いているが、数学の基礎体力は、基礎的な計算力だ。
小数、分数、正負、カッコのはずし方、簡単な暗算の能力は、
なければ話にならない。スタート点に立てないのだ。
 
しかし、もちろん、それだけでは足りない。
基礎的な計算力は、あくまでも、スタートに立つ資格に過ぎない。
(数学的に言うと、必要条件であって十分条件ではない。)
 
それでは、数学のコツとはなんだろうか。
まあ、私のような人間がウンヌンするのは不遜だろうが、それでも
敢えてウンヌンしてみたい。
 
数学のコツと言って、まず思いつくのは、図形の問題で言えば、
「補助線の引き方」なんかだろうか。
方程式の問題で言えば、たとえば、「食塩水の濃度の問題なら、
塩の量に着目せよ」なんて話だろう。
確かに「コツ」と言えば、普通は、こういう「コツ」のことになるだろうし、
そのような「コツ」は、実際役に立つ重要なものだ。
が、私が話したいものとは違う。
 
これまで「コツ」という言葉を使ってきたが、それは、「逆上がり」
などを説明するのにちょうど都合がよかったからに過ぎない。
それは、「何かをはじめるためにつかまなければいけない何か」のこと
であり、私は、むしろ、「ある種の理解」のことだと思う。
 
その言葉を使えば、「逆上がりは、逆上がりを理解したとき、
できるようになる」と言える。
この「理解」は、「理屈の理解」のことではない。
むしろ、「体感」に近いものだと思う。
 
ここで、「理解したとき、できるようになる」は、あるいは、
「できるようになったときに、理解できる」と言うべきかもしれない。
この「理解」と「できるようになる」は、ニワトリとタマゴのような
もので、どちらが先とは言いにくいものがあるからだ。
しかし、とにもかくにも、スタートするには「理解」が必要だ。
 
同様に、「水泳」は、「水に浮いて進むとはどういうことか」を
理解したときにはじめてできるようになる。
「英会話」は、「英語で話すとはどういうことか」を理解したとき、
はじめてできるようになるのだ。
 
つまり、私が今問題にしている「コツ」とは、要するに、
「スタート点でスタートを切るための理解」のことである。
「数学」の場合、基礎的な計算力があれば、数学のスタート点に立つ
ことができるが、それだけでは、スタートできないことが多い。
「数学」(の新しい分野)を勉強しはじめたとき、なかなか、
何をしているのか飲み込めず、先に進めないことがあるのだ。
 
それは、たとえば、
 
勉強はどのようにするべきか・させるべきか5
http://d.hatena.ne.jp/oh1234/20091031
 
で書いたような状況になる。
 
そのエントリーでも、そのような状況を乗り越えるための具体策を
論じたが、ここでは、まあ、その、再論をしたいのである。