「できるようになる」について3

今日は、「英会話」について。
こうして、いろいろなことをバラバラに書いているのは、最後に
1つにまとめるためである。
(けれど、うまくいくかどうかはわかりません。)
 
さて、「英会話」。
これも、コツである。
私は、今でこそ、「私は英語がしゃべれます」なんてえばって嫌われて
いるが、大学院を出るまで、ずっと英語は苦手だった。
しかし、アメリカに行って、英会話のコツをつかんだのだった。
 
コツをつかんでからあらためて考えてみると、「英会話は中学で習う
英語の知識があればできる(はじめられる)なあ」と思う。
そういう意味では、基礎体力があまりいらない「水泳」に似ているのだ。
 
ではなぜ、私がそのコツをなかなかつかめなかったのかと言うと、まず、
 ・英語を話せる日本人がまわりにいなかった。
 ・したがって、コツを教わることもできなかった。
ということが言える。これは、「助言なし・見本なしで逆上がりを
覚えようとする」ようなもので、大変難しいことはあきらかだ。
また、
 ・ネイティブスピーカー(アメリカ人など)がまわりにいなかった。
ということもある。
もちろん、英会話学校に行けばネイティブな人はいるのだが、当時、
そういう英会話学校は目が飛び出るほど高くてなかなか行けるもの
ではなかった。
「ネイティブな人がいないところで英会話を覚える」のは、
「鉄棒なしに逆上がりを覚える」とか「水のないところで水泳を覚える」に
等しい行為だ。
もちろん、困難を極めることは想像に難くない。
 
私は、アメリカ行きが決まると、覚悟を決めて英会話学校に通った。
英会話の教材もいくつか試してみた。その結果、なんとなく
英語が話せるようになったような気がしたものだ。
これは、「水泳」で言えば、「覚悟を決めて水に入る」ようなものだろう。
重要なことは、「英会話学校に行った」ということだけでなく、
「覚悟を決めて行った」ということだったと思う。
ただ英会話学校に通っても英語が話せるようにならないのは、
ただ水にはいっても泳げるようにはならないのと同じだろう。
 
そんな風に英会話学校は役に立ったが、そうは言っても、やはり、
アメリカに住んだこと」の方がはるかに、強力であった。
そうして、身についたのは、もちろん、語彙とか言い回しの知識とかでも
あるのだが、一番大きなことは、「英語を話す簡単なコツ」だったのだ。
 
その具体的なことは、このブログにもう書いたので、ここでは書かない。
ただ、言いたいことは、
 ・環境が整っていないとコツはつかみにくい。
ということだ。
そして、最良の環境とは、
 ・実際にできる人がそばにいること。
だと思う。
 
「数学」へ続く。
ま、だいたい結論は見えますよね。
 
注:
「英語を話せる日本人がまわりにいなかった」というのは、厳密には
間違いで、そういう人たちはいました。教授とか。
でも、そういう方々に英会話のコツなどを聞くことはできませんでした。
また、彼らが実際に英語を話している姿を見ることもあまりありませんでした。
ので、私にとっては、まあ、「いなかった」のと同じであるわけです。
これは、当時の多くの日本人にとって、同様だと思います。