勉強はどのようにするべきか・させるべきか7

「創出」期から「伸展」期へ。
 
ただし、「創出」から「伸展」への移行は、それほどはっきりしたもの
ではないと思う。
「創出」とは、「自分の中に、新しいことを理解する基礎」を創り出す
ことであるが、そうしてできた「基礎」は、必ずしも、磐石なものではない。
もちろん、「できた」と思った「基礎」が間違っている可能性もある。
 
弱々しい「基礎」を強くし、また、もし間違っていたなら、修正するには、
私は、ドリルが一番ではないかと思う。
 
ここで言うドリルとは、小学生がよくやらされるような、基本問題集の
ことである。イメージとしては、「1日1ページ10分」などというやつだ。
ただし、本当に、1ページを10分でやる必要はない。
重要なことは、「やさしい基本問題が載っている問題集」ということであり、
かつ、「ドリル的に使う問題集」ということである。
 
この「ドリル的に使う」は、今回の最重要な論点である。
ドリルは、「条件反射的に問題を解くようにする」ためにあるのではなく、
「理解」のために有意義なものだ。(と私は確信している。)
子供(大人も)は、やさしい基本問題をどんどん解きながら、自分の理解を
確かめ、理解を深め、最終的には、その基本問題の根底にある「考え方」に
習熟していくことができると思う。
もちろん、問題を解くスピードも上がる。(それは、「習熟」の一種だ。)
これは、「最初はゆっくり解き、徐々に、スピードを上げていく」という
ことになるかもしれない。
基本問題集をそのように使うことを「ドリル的に使う」と呼びたいのだ。
 
書店に行くと、小学生(と幼児)向きのドリルの量には圧倒される。
(ご存じない方は、ぜひ、一度ご覧になるとよいと思う。)
そして、たいていの小学生は、ドリルを「ドリル的に使っている」と思う。
 
中学生向きのドリルは、ぐっと数が減る。
が、実のところ、中学生用にも、「ドリルとして使える問題集」は多数ある。
それは、つまり、「やさしい基本問題が載っている問題集」だ。
だから、それらを、「ドリル的に使えばよい」と思う。
(ただし、それは、必ずしも、やさしくないと思う。) 
 
私は、ドリルは、楽しくやらなければいけないと思う。
労役としてやらせれば、それは、良くて「条件反射の育成」にすぎず、
おそらくは、それすらできず、「苦しみ」でしかないだろうから。
 
 「楽しくドリルをやる」
 
これは、なかなか難しいが、私の大きなテーマである。
そのための1つのやり方として、はじめは時間を気にせず、また、
目標を大きくしすぎしないと良いと思う。
 
続く...かも。