私家版・子供のための国語勉強法2

私は、ある時期、国語が得意だった。
そして、まず、「それは、どういうことか」を伝えたい。
しかし、それは、実に、いやみな自慢話のようでもある。
(もちろん、そんなつもりは、まったくないのだが。)
ということで、以下は、興味のある方のみ、どうぞ。
 
まず、最初に私の限界について。
 
私に国語得意感があったのは、高校2年生くらいから大学受験までのごく短い間のことだ。
しかも、それは、「理系受験生の中では点数が比較的良かった」というだけのことである。
(生意気にも、文系受験生より得意なつもりではいたが、客観性はない。
 もちろん、私は、国語学者でもなんでもない。)
私は、漢字は、その当時も今も書けない。
意味段落分けの問題は、いまだに、苦手だ。
今でも、中学生の問題(高校受験者対象)が解けなかったりする。
(これについては、石原千秋先生が、「秘伝 中学入試国語読解法」の中で、
 「意味段落わけの問題は不適切」という意味のことを書いていたと思う。
 私はそれで、大変意を強くした。)
また、「接続詞や文章の一部を元の文章から抜いておいて、あとから入れさせる問題」は、
正直なところ、つまらない問題だと思う。(ごめんなさい。)
選択問題は、あまり間違えない。
しかし、時々は、間違えた。
で、そういうときは、大抵、「問題の方が悪い」と思った。
(明らかに見落としがあることも、あった。)
 
さて、そんな私であるが、「傍線Aに○○と書いてあるが、それはどういうことか
60字以内で説明しなさい」なんていう問題が、大の得意であったのだ。
(こういうのは、「記述問題」というらしいので、以下そうよぶ。)
もちろん、テストであるからには、ドキドキもするが、一方で、かなり自信をもって
答を書くこともできた。
特にうまく行った場合、「出題者がなぜ60字と言ったか」までわかるような気がした。
「ああ、あれとあれを書くと、ちょうど60字くらいだな」などと思うのだ。
(出題者は、必ず、1つは模範解答を書いているはずだ。)
また、「あれ、60字になりそうもないな(足りない、または、余る)」というときに、
もう一度、文字数から考え直して、「ああ、これか。これを書けということか」と
わかることもあった。
 
もちろん、どうにもならないときも、たまにあった。
そういう場合、解答を書きながら、自分でも「これはたぶん間違ってるな」と思う。
それでも書くのは、テストだからだ。
(実を言うと、「そんなときでも、あまり減点されない書き方」を心得ていたように思う。
 国語が苦手な人の中には、「何か書けば部分点がもらえるだろう」と言う人がいるが、
 それは、大間違いだと思う。そういう答案は、採点者の怒りを買うだけだと思う。)
 
私が言いたいのは、国語が得意になると、「記述問題」という一見採点があいまい
そうなものでも、採点される前に、だいたいの結果がわかってしまうということだ。
(もちろん、細かい点数がわかるのではなく、「できたかできなかった」だ。)
国語が苦手な人に、この感覚はないと思う。
実際、高校1年生までの私はそうだったのだ。
 
ここまで、自慢話をしたかったのではなく、どうして、このような状態なるのかを、
考えてみたいのだ。
そして、この感覚を、何より自分の子供たちに伝えたい。
それから、奇特にも、このページを読んでしまった人にも。
 
続く。