自分と子供たちのための数学勉強法17

「傾き」の話で何が言いたかったかというと、要するに、
 
  新しい概念を獲得するには地道な練習が必要
 
ということだ。
大して目新しい話ではないかもしれないが、このエントリーにおける私の最大の
結論は、結局、それかもしれない。
「新しい概念の獲得」とは、「新しい概念の理解、記憶、習熟」を意味する。
で、「地道な練習」の内容は、学習者の個性や理解度等に応じて、
決めていけばよいだろうと思う。
それは、厳密反復型であっても、一般類題反復型であっても、よいのではないか。
私が、厳密反復型にこだわったのは、場合によっては、厳密反復型こそ、
「新しい概念の獲得」に有効である場合あるということだ。
それは、特に、新しい概念を学び始めた初期の段階で有効だと思う。
しかし、もちろん、絶対ではない。
 
なお、初期の段階こそ、最大の危機的段階でもある。
(数学に挫折する人の90%以上は、最初の1月で挫折しているという統計が・・・
 というのはウソですが、そんな感じしません?)
だから、十分に注意が必要ではないかと思う。
新しい概念は、新しいが故に、なかなか頭に入らないはずだ。
当然、反発心も芽生えてくるだろう。
(「こんなこと勉強してナンになるの?」
 「こんなやり方より、すでに知っているやり方の方が速いじゃん?」など。)
そこに、単純な厳密反復型をもってくると、「意味のわからないものを
反復させられている」という不満が爆発する可能性もある。
しかし、あまりに早々に一般類題反復型をやらせると、
「進むのが速くて全然わからない」という不満が出ることも多い。
 
こんなとき、教える側は一生懸命工夫しているのだが、同時に、
「大事なことを教え、練習させているんだから、反発なんかでエネルギーを
 使わず、練習(そして、思考)に集中してくれ」と思うものだ。
が、それは、それ。
生徒の個性を指導者の気持ちに100%合わせることはできない。
それに、それをやっちゃ、だめでしょ。たぶん。
指導者は、生徒が自分で「いろいろ考える」代わりに、それを解けば、
「いろいろ考えたことになる問題」を、うまい具合に出していかなければ
ならないのだ。
 
ところで、最近、これまで私がまったく考えていなかったことに気がついた。
それは、「スピードのための練習」と「理解のための練習」の違いだ。
「生徒が問題を解くスピードをあげるための練習」は、主に、厳密反復型か、
数値変更問題反復型が向いていると思うが、いずれにしても、時間の計測と
適度な競争が極めて有効だ。あえて言おう。それが、必要なのだ。
やってみての感想だが、これは、決して、つまらなくもないし、残酷でもない。
(もちろん、「うまくやれば」の話だが。)
しかし、時間の計測と競争は、記憶を助けたり、理解を深める勉強には、
向いていないと思う。
 
こう書くと当たり前のようだ。
実際、私もそのくらいのことはわかる。
が、私は、この問題を、ちゃんと考えたことがなかったのだ。
 
どういうことかというと、「スピードのための練習」も「理解のための練習」も
同じ反復型が使えるので、一見、同じ練習に見える。
少なくとも、子供には、まったく同じ勉強に見えるのではないか、ということだ。
普通は(?)、「スピードのための練習」の方が、単純でやりやすく、
さらに、インパクト(すばらしい成功感)がある。
そのため、「スピードのための練習」の後に「理解のための練習」をやると、
生徒は、それも、「スピードのための練習」と解釈し、
「速く解こう。速く解かなければだめだ」と考えてしまうのではないだろうか。
しかし、当然、「速く解こう」と考えている限り、理解は進まない。
 
スポーツの世界では、「この練習が何の役に立つのか」を考えながら練習する
ことが推奨されている(と思う)。
数学を学ぶ生徒も、「これはスピードのための練習」、
「これは理解を深めるための練習」とわかってやっていれば、効率がよいと思う。
しかし、それは、ある程度、年齢(精神年齢)が高ければ、可能だと思うが、
たいていの小学生・中学生には、説明してもピンと来ないと思う。
そもそも「理解を深めるために反復練習」なんて、意味が通じないだろう。
(「理解」は、練習のあとで、自然ににじんわりできることが多いものだし。)
 
だから、これは、指導者が工夫しなければならないのだと思う。
今、思いつくことを書くと、割合としては、「スピード練習」の時間の方が
少ないはずだから、これを「理解の練習」(や「記憶の練習」)から儀式的に
切り離してやるのがよいように思う。
たとえば、「スピード用」には、特別な問題集を用意して、
「これは特別な練習」と思わせるようなやり方でやらせる、ということだ。
逆に、「理解の練習」は、数学では当たり前のことなので、特に、説明する
必要はないかと思う。
まあ、やらせているときに、「あせらなくていいよ」と声をかけるのは
よいかもしれない。