私家版数学勉強法3

といって高校生以下の話ではなく、大学生以上の話。(以下略)
 
数学は、当たり前のことの積み重ねである。
当たり前のことだけが書いてある数学の本がなぜ途中から読めなくなるのか。
(はじめのページから読めないなら、それは明らかな準備不足であって、まずは、
 読める本からはじめるべきだろう。)
 
1つには、「その本の対象に興味がなくなる」ということがあるだろう。
これは、小中学校ではやばやと数学(算数)を理解できなくなるもっとも
ポピュラーな理由だと思う。
小中学生の(数学)教育については、言いたいことはたくさんある(と言うか、
それこそこのブログの大きな目的の1つだ)が、ここでは省略。
大学生以上にもなって数学の本を読みたいと思うなら、ちゃんと興味があるはずで、
その点をほじくってもしかたがないだろうから。
 
次の理由(数学の本が読めなくなる理由)に、「新しい考え方になじめない」と
いうことがあると思う。
「解析入門I 杉浦光夫著」の第1章でつまづいたなら、その理由は、これだと思う。
これは、なじむしかないだろう。そういう考え方を学びたくて読んでいるのだから。
(他の理由に対する対処法も同じなのだが、)このような場合の最も良い対処法は、
「理由を意識する」ではないかと思う。
つまり、「解析入門I」の第1章で「わからん」と思ったら、「あ、俺は、新しい
考え方に戸惑っているんだな」と思うことで、かなり乗り越えられる確率が上がる
ように思うのだ。
 
「解析入門I」は、(私が思うに)後半になってもペースがまったく変わらない。
したがって、第1章さえ乗り越えれば、あとは同じように読んでいけると思う。
にもかかわらず、挫折することもありうる。
その1つの理由は、「第1章を理解していなかった」(「第1章で語られる解析学
哲学を理解していなかった」)かと思う。
これは、第1章をもう一度読み返せばよいだけだと思う。
 
一方、別の理由もある。それは、「前の方に書いてあることを忘れている」だと思う。
数学は、一度証明した事実を「自明のこと」として使う。
だから、後半になれば、前半の結果が「自明のこと」として使われるのに、
それを忘れていたら、わからなくなって当然だと思う。
数学の本は、覚えながら読まなければいけない。
あるいは、忘れてしまったら、もう一度見直すべきなのだ。
 
これは、当たり前のことだろうか。
私には、当たり前のことではなかった。
「数学とは考える学問であり、覚える必要なんかない」と思っていたからだ。
あまりに幼い...ようだが、私は、本気でそう思っていた。
もしかすると、才能のある人、思考の深い人は、意図的に覚える努力をしなくても、
覚えられてしまうのかもしれない。しかし、私はそうではなかった。
だから、今は、意図的に覚えながら読もうとしている。
(もちろん、歴史の年号暗記とは、ずいぶん違うことだ。)
そして、忘れていたら、頻繁に前の方を読み返すことにした。
(私は、残念ながら、よく忘れる人なのだ(涙)。)
 
第1章をしっかり読み、書いてあることはなるべく覚え、忘れてしまったら、
見直しながら読むこと。そうすれば、たとえば、「解析入門I」は読めると思う。
(実は、「解析入門I」の良い点のひとつだが、この本は、前に証明したことを
 使う場合、かなり丁寧にその箇所を示してくれる。
 だから、かなり忘れていても、面倒くさがらずに、そこを見直せば読める。)
ところが、「代数入門 堀田良之著」は、もう少し難しかった。
その話は、またあとで。