カタカナ英語に強く反対する2

カタカナ英語本に強く反対する最大の理由は、そのような考え方が、本当は
一番大事な「英語を理解し、話そうとする努力」を軽んじるものだからだ。
 
カタカナ英語を主張している方々は、たぶん、英語がちゃんと話せるのだと思う。
彼らは、旧式のカタカナ英語(hospitalをホスピタルと言うなど)を否定し、
新式のカタカナ英語(hospitalをハスペロウと言うなど)を考え出すために、
とてもよく英語を聞き、発音を工夫し、実際に試してもみたはずだ。
それを本が書けるくらいやったのだから、リスニング時間、スピーキング時間、
どれを取っても、十分、英語が話せるだけのものになっただろう。
彼らは、十分に自分の英語能力を開発しているはずなのだ。
 
しかし、その結果できあがったものは、「音数の少ない言語の文字で音数の
多い言語を表す」という最初から無理なものだ。
その成果を安易に受け取っても、英語が話せるようには、決してならないはずだ。
 
つまり、字面でハスペロウと書いてあっても、カタカナ英語本の著者たちの
「ハスペロウ」と、ただカタカナ英語本を読んだだけの人の「ハスペロウ」は
おそらく、ずいぶん違ったものになっていると思う。
(カタカナ英語本の著者たちが、本当に英語を話せる場合だが。)
著者たちの「ハスペロウ」と一般読者の「ハスペロウ」は、普通の日本人には
ほぼ同じに聞こえると思う。
しかし、ネイティブの人たちには、まるで違って聞こえるだろう、ということだ。
音数の少ない言語を話している日本人には、よくあることである。
 
もし、カタカナ英語本で成果を期待したいなら、著者たちと同様の英語修行を
実地でしてみなければいけないだろう。
失礼ながら、カタカナで英語を話そうと思う人たちには、カタカナ発音であっても
ちゃんと努力して英語を話そうという覚悟があるのだろうか。
もし、覚悟があるなら、はじめから普通の英語教材を利用した方がよいと思う。
 
私が濫読した教育本の中に、「悪い先生は、自分が頭を使い生徒に頭を使わせない。
良い先生は、自分は頭を使わず生徒に頭を使わせる」という意味のことが書いて
あってとても感心した。
(ごめんなさい。どなたかわからなくなってしまった。宮本先生でしたっけ?)
カタカナ英語を主張される先生方こそ、前者の先生ではないだろうか。
きつい言い方ですみません。
 
カタカナで英語が話せると思う人たちに、もうひとつ考えてほしいことがある。
それは、カタカナで英語を話す場合、どのように会話を組み立てるのかということだ。
普通に英語を話す人は、英語で考え、それを口に出す。
(前に書いたが、これは、決して難しいことではありません。やればできます。)
日本語で考え、それを訳して口に出す人は、たぶん、ほとんどいない。
(そんな難しいことができるのは、同時通訳者くらいだと思う。)
しかし、カタカナで話す人は、カタカナで英語を考えるのだろうか。
どう考えても、ちゃんと話せるようになるとは思えないのだ。
 
この話ここまでっす。
 
が、一応、私が良いと思った英語教材を挙げておきましょうか。
「他はダメ」という意味ではありません。そんなに知らないだけです。
 
私は、20年くらい前、アメリカに行く前に、アルクという会社の本を
だいぶ読んだが、とてもよかった記憶がある。
(もちろん、英会話学校にも行った。)
正確な題名は忘れてしまったのだが、検索してもそれらしいのがないので、
たぶん、その当時の本は、絶版になっているのだと思う。
しかし、出版社は健在なので、同様の書籍を出しているのではないだろうか。
特に良かったのは、「英語のリズム」を教えているものと、「簡単な文法で十分
話せる」という内容のものだった。
 
また、ざっと見た感じでしかないが、他の出版社からも「単純な英文を多数
載せているCD付きの本」がたくさん出ている。
これらは、みな、よいものだと思う。
 
それと、最近、子供の勉強用に、DS用ソフトの「えいご漬け」というのを買ってみた。
これで英会話ができるようになるかは、微妙だが、「英語の基礎力」をつけるもの
としてはなかなか秀作だと思う。