だまされない子供たち

最近は、陰惨な事件に加えて、人をだます事件(それも陰惨だが)が多い。
オレオレ詐欺がその代表だが、食品の偽装事件も、某○○庁の不祥事も、
教員採用試験のインチキも、みんな、同じタイプのものだと思う。
そういう現代にあって、人は、「賢くあること」が要求される。
もちろん、だます奴が悪いのだが、だまされてもいけない。
と、人々は思っている。
まあ、当然だろう。
 
で、「だまし」には、犯罪にならないものもある。
たとえば、セールストークだ。
セールストークまで含めると、この世は、なんと「だまし」にあふれている
ことだろうか。その手の「だまし」にひっかかっても、誰も助けてくれないので、
人々は「賢い消費者」でなければならない。
まあ、当然だろう。
 
しかし、このような「だまされまい」の精神によって、教育が大きく損なわれて
いるような気がする。
先生は「価値の無いものを高値で売りつけようとするタチの悪い店員」ではない。
(すべての店員さんがそうだと言っている訳ではありません。念のため。)
にもかかわらず、先生の言うことを、セールストークのように聞き、
「俺は(私は)だまされないぞ」と身構える子供が、少なくないのではないか。
そういう態度を取っていれば、何も習うことはできないだろう。
小学校から何年も学校に通っていて、何も習うことができないとすれば、
それは、なんとも恐ろしい。
 
ドラマの世界でも政治の世界でも、普通に仕事をしている教員(普通の先生)を
悪者にする人が多い。
「先生の言うことを聞くな」という人たちもいる。
先生の悪口を公然と口にする親もいる。
子供たちの「だまされまい」とする態度は、そういう大人からの影響だろう。