子供は勉強が好き再論4

さて、中学生はどうか。
中学生になっても、やっぱり、子供は本質的に勉強が好きだと思う。
が、小学生とは、その発現の仕方が変わってくる。
また、環境も変わってくる。
 
以下、例によって、ランダムに。
ただし、これらは、相互に複雑に絡み合っている。
また、すべて、「私の愛する息子の話」である。
 
・中学に入って反抗期をむかえた
勉強しろというと反発する。
これは、自立のためだろうから、歓迎すべきことだ。
しかし、反発するからと言ってほっておくと、あんまり勉強しない。
正確には、学校の勉強をしない。
好きなことはいろいろ考えているようだ。
しかし、好きなことだけでは、やっぱり足りないように思う。
 
・私の態度は不変か
小学校までは、基本的には、好きなことを勉強させていた。
もちろん、宿題はやらせたが、それほどの負担ではなかった。
それで十分ではないか?
ところが、中学校では、、、まあ、正直に言おう、内申書というものがあって、
それをおろそかにすることはできない。
それに(まだ早いが)高校受験というものもある。
畢竟、「好きなことだけでなく学校の勉強もしろ」ということになる。
これは、今までの私の態度と違う。
つまり、息子が反抗期に入ったというだけでなく、「私の言ってること」が
変わってきたと言える。
そう考えれば、反発するのは、反抗期かどうかにかかわらず当然だとも言える。
(小学生のときにも、好き嫌いに関係なく、勉強させることもあった。
 それに反発されることもあったが、なんとかなった。
 それは、小学生だったからかもしれない。)
 
・中学生は忙しい
部活動で朝練、夕練があり、自由時間が少ない。
また、家に帰るなり、疲れて寝てしまうこともあるようだ。
その後、起きだして夕食を取って、また寝たりする。
(もちろん、部活動は好きでやっている。
 また、そのことを、夫婦ともに喜んでいる。)
さらに、宿題もある。
これは、先生や時期によって違うのだが、まじめにやればいくらでも時間を
取られる宿題が出ることもある。
宿題が佳境に入ると、他のことは何もできなくなるので、「勉強しろ」は、
単に、「宿題しろ」というだけになる。
ちなみに、それらの宿題は、すばらしいものばかりだ。
これについては、本当に、先生方に感謝している。
じゃあ、宿題だけやっていればいいのだろうか。
 
・私は学校の勉強を中心に考えたい
宿題は良いものばかりだ。
そういう宿題が出る授業も良いものだ。
だから、家庭学習をさせるなら、「学校の勉強」を中心にすべきかと思う。
ただ、まあ、そうすると、上に書いたような反発も起こる。
また、親が学校の勉強を把握せずに「学校の勉強中心主義」を実行するなら、
親のすることは、ただ「宿題しろ」というだけになってしまう。
(なんか、いや〜な親ではないですか?)
それでは、学校の勉強を把握しようとすると、中学校の勉強はいろいろな意味
で多様化しているので、簡単ではない。
それでも把握して指示を出すというと、おそろしく過保護な親だと思う。
 
・子供の自主性に任すべきか
「子供の学校での勉強を把握」なんてとんでもない。
「宿題しろ」なんて言うのもおかしい。
勉強なんて、子供が自主的にすべきことで、親が口を出すことではない。
というご意見もある。
いや〜、ま〜、そうですね。
いずれ自主的になんでもする人間になってもらわなくては困るのだが、
自立はいつはじまるのか。いつ完成するのか。
親は完全に放任でよいのか。悩んでしまうのである。
中学生くらいで自主性に任せれば、やっぱり、好きな勉強が中心になって
しまうだろうと思う。
 
・好き嫌いがすべてではない
上では、内申書だの受験だのと書いたが、、、実際、それは大きい。
しかし、それらを考えなくても、「好きでないことを勉強すること」の
意義は大きい。
「好きでなくても勉強しろ」と言いたい。
それも親の務めではないか。
が、「好きでないこと」も勉強すると「好きなこと」を勉強する時間が
なくなる。中学生は忙しいのだ。
 
以上、どうどうめぐりである。
ポイントは、「反抗期、部活、宿題、成績、自主性、好き嫌い」の複雑な
方程式をどう解くかだろうか。
 
・・・どうどうめぐりではあるのだが、実は、最近、光明が見えてきた。
気がする。それは、
 
 笑って暮らす
 
だ。
笑っていれば方程式が解けるのか。
私には、解けるような気がする。