歴史の勉強

しつこく歴史の勉強の話。
まとまりなく。
 
・勉強
私は、大学受験生の頃、ものすごく社会科(世界史と地理)の勉強をした。
たぶん、一時期、全勉強時間の半分くらいを社会科に当てた。
(心ある、しかも、冷静な友人たちは、止めてくれたのだが。)
それでも、社会科の成績は全然上がらなかった。
これが、私の現在の「社会科オブセッション」につながっている。
今現在、私の「子供のための全勉強時間」のほぼ100%を歴史につぎ込み、
子供の勉強も歴史しか見ないという状況になっている。
これは、さすがにまずいと思っているのだが、やめられない。
そういうのをオブセッションと言う。(ですよね?)
 
ただ、受験生時代の「ものすごく社会科の勉強をした」は、実のところ、
机に向かってする勉強時間が長かっただけだった。
勉強している間も、ほとんど、頭に入ってこなかったように思う。
一方、数学なんかは、机に向かっていないときこそ、いつも考えていた。
「ああいう問題は、こうやって解けるよな。その問題が、こうだったら、
 どうすればいいのかな。ああ、こうやればいいかな」なんて。
社会は、勉強している時間からして、考えていたかどうか怪しいし、
勉強時間以外では、完全に忘れていた。
と言うか、忘れようとしていた気がする。
 
今は、歴史の勉強が楽しい。
いつも、考えている。
(今度は、それが、危険な感じがするのだが。)
 
・正解
たとえば、数学の場合、はっきり正解がある。だからやさしい。
(あ、あくまで、テストの問題の話ですからね。)
 
ところが、英語は、正解がはっきりしない。いつももやもやしている。
もちろん、英語でも、大部分のテストの問題には、はっきり正解がある。
が、自分で、いろいろ考えてみると、「正解」がわからないことが多い。
「言語は生き物だから」なんて、高尚なことを言っているのではない。
普通の、しかし、日本語もわかるアメリカ人が「こうだ」と言ってくれれば、
それが正解だと思う。しかし、近所にそんな都合のよいアメリカ人はいない
から、それがわからないのだ。
ただ、「英語に正解はない」(正しくは、「英語の問題では正解が
わからないことが結構ある」だが、シンボリックかつインプレッシブな
エクスプレッションで(笑))と最初から覚悟をしていたから、あまり、
そのことで悩むことはなかった。
(みなさん、そうでしょ?ね?)
 
さて、社会科。
社会は、暗記科目だから、正解がはっきりしている。
と、ずっと思っていた。
それが、最大の間違いだったのだと思う。
社会科も、英語のように、自分で考えると、「正解」のはっきりしないもの、
と思えば、いろいろなことがすっきり説明できるように思う。
たとえば、私の社会科の成績が上がらなかった理由など(笑)。