知識・技能・思考力3

運動神経の良い子がいる。
彼らは、どんなスポーツでも、たいていは、はじめからうまくやってのける。
そして、本気になれば、選手にもなれる。
私のような鈍には、心底、うらやましい。
 
同じように、「思考力神経」とでもいうものはないだろうか。
別に、そういう神経が、本当にあるかどうかではなく。
(あるとすれば、それは、ズバリ脳のことでしょう。)
「運動関係のことを、訓練を受ける前に、うまくやってのける子」のように、
「思考関係のことを、訓練を受ける前に、うまくやってのける子」もいるの
ではないか、ということだ。
それを、ここでは、象徴的に「思考力神経が良い子」と言おう。
「思考力神経の良い子」は、どんな勉強も、はじめからうまくやってのける。
本気になれば、かなりの成績を取れる。
そんな感じだ。実際、そんな人はいる。
 
私は、子供を教育するにあたって、数学や国語といった個別の教科より、
それを超えた「思考力神経」を鍛えたいと思ったのだ。
それは、どんな訓練だろうか。
 
しかし、考えてみると、「運動神経の良い子」はたくさんいるが、彼らが、
「運動神経をよくする訓練」を受けているかどうかは、疑問だ。
たぶん、特別な訓練などなく、敢えて言えば、「お父さんやお母さんとの遊び」
なんかが、その子の運動神経を育んだのだろう。
それに、もちろん、(あまり楽しい話題ではないが)遺伝もあるだろう。
また、いずれにしても、そのうち、サッカーとか野球とか、個別のスポーツを
選べば、その子は、その練習に明け暮れるようになる。そうなってからは、
運動神経一般の訓練なんて、あるとしても、オマケのようなものではないか?
 
そう考えると、「思考力神経の訓練」も、ないとは言えないが、それほど重視する
ものではないような気がしてきたのだ。
遺伝的要素が絡むなら、なおさらだ。
(もちろん、「まったくしない」というわけでもない。)
 
サッカー少年がサッカーをし、野球少年が野球をするのは、おそらく、正しい。
知的な能力がほしければ、素直に、その分野の勉強すればよい。
それしかないし、また、それで十分ではないか。
 
論点をはっきりさせるために、アナロジー(類推)を続けると、次のようになる。
サッカーの練習をすれば、第一義的にはサッカーが上手になる。
サッカーの練習で、運動神経(他の競技でも使える運動能力)がよくなるかも
しれないが、それは付随する利点に過ぎず、また、必ず期待できる効果でもない。
野球がうまくなりたいなら、サッカーの練習より、野球の練習をするべきだ。
そして、サッカーも野球も水泳も同時に上達する練習方法は、たぶん、ない。
 
これが、最近の結論である。
これは、大抵の人にとって、「当たり前の結論」かもしれないが、私に取っては、
もろもろの躊躇を払拭する結論である。
(と言って、そんなに、すぐに割り切れるのでもないが・・・。)