知識・技能・思考力4

誰もが思考力をほしいと思う。だろう。
しかし、前回の結論が正しいとするなら、「思考力一般を鍛える方法」など
あるかどうかわからないのだから、そんなものは探し求めない方がよい、
ということになる。
数学の学力をつけたければ数学の勉強をすればよく、国語の学力をつけたければ
国語の勉強をすればよい。他の方法は(おそらく)ない。
 
ちなみに、「生きていくための知恵」がほしいならどうすべきか。
たぶん、「人生を生きて学ぶ」を別にすると、「学校で行われているすべての勉強」
が、「生きていくための知恵」を得るための勉強なんだと思う。
個別にアレとソレとコレということではなく、たぶん、全部。
ただ、それほどの知恵者にならなくてよいなら、そこそこの勉強でもよいだろう。
また、所詮は学校の勉強。
学校の勉強だけで、「実践で鍛え抜かれた人」と勝負するのはつらかろう。
それはそれ、どんものでも言える事だろう。
 
閑話休題
「思考力一般を鍛える方法」はおそらくないだろうと認めた上で、次の考察がある。
 
私は、思考力の根本は意思だと思う。
考え続けようとする強い意思だ。
しかし、強い意志を、教育によって与えるのは、かなり難しいと思う。
もちろん、「強い意志を持て」と教えることはできるし、重要なことだと思う。
が、それで、実際に強い意志を持つかどうかは、結局、本人次第だろう。
 
思考を続ける強い意志を持てたとすると、その意思をサポートするのは、
着想と技能だと思う。
着想の源泉は、まず知識だろう。知識がなければ何も思いつくまいから。
一方、技能は、着想を実行するためにかかせないものだ。
(例を出せば、数学の問題を読んで方程式を立てるのが着想、その方程式を
 解くのが技能だ。)
が、私は、技能もまた、着想の源泉になり得るのではないかと思う。
たとえば、伝統的工芸品(って言うそうですね)の名匠たちは、若い頃(年を
取っても?)徹底的に技能を訓練してきたのだと思う。
で、そういう人に着想がないなんて考えられないでしょ?
技能の訓練を積むことで、すばらしい着想を得ることもあると思うのだ。