知識・技能・思考力2

前回書いた「知識だけは豊富にある、が、思考力はない、自分で発想する
ことはまったくできない人間」というのは、本当にいるのだろうか。
世の中は広い。だから、確かに、そういう人もいるのだろう。
しかし、私は会ったことはない。
 
たまに「見かける」のは、テレビドラマの中だろうか。
エリートさんなんかだ。
普段は学歴やら職業やらを自慢して実に鼻持ちならない自信家なのだが、
いざ問題が起こると、パニックになってしまい、「こんなことは...
こんなことは教科書に書いてないっ。だから、ボクにはわからない」なんて
絶叫したりする(笑)。
それから、「上司の悪口」の中に登場することもある。
「あいつ(課長とか部長とか)は、自分の頭で考えてない。ただ、上の人の
言いなりになってるだけだ」とか。
 
「知識だけはある・・・」は、高学歴で出世した人への敵意とか、自分と意見の
合わない(しかし知識がある)人への攻撃とか、あるいは、知識教育を否定
したい人とか、そういうもろもろが生み出した幻想ではないだろうか。
繰り返すが、もちろん、そういう人もいるだろう。
しかし、それは、そんなに多くないはずだし、知識教育をしたために、
そのような人間が大量生産された、、、などということはないのではないか。
(むしろ、「知識を与えなかったために、思考力のない人間になってしまった」
 ということの方が、率としては多そうだ。)
 
知識の話と違うが、似ているものとして、「計算問題」というのもある。
「計算問題をさせすぎたために、思考力のない人間になってしまった」という
タイプの話だ。それは、私には、大いに疑問だ。
(もちろん、嫌がる子供の首根っこを押さえて、拷問のように計算問題を
 やらせ続けたら、思考力のない人間になってしまうだろう。
 だが、それは、別の話だ。)
確かに、「文章問題を嫌い、計算問題をより好む子供」は、そこそこの数いる。
(塾講師として、そういう子供たちは、確かに見ていた。)
しかし、それは、おそらく、大部分が、「文章問題が嫌い」というだけの話だ。
嫌なことを言うと、「文章問題を嫌い、計算問題をより好む子供」で、本当に
計算問題が好きな子供はかなり少ないのも事実だと思う。
彼らの多くは、単純に、算数・数学が、嫌いなだけなのだ。
(文章問題が嫌いなら、算数・数学を好きにはなれない。
 なぜ文章問題が嫌いかというと、そういう問題の解き方の訓練を受けておらず、
 解けないから嫌いなのだ。
 この問題を解決するには、「楽しい文章問題」を与え、算数・数学の楽しみを
 教えてあげるのがよいと思う。
 が、教える先生には、かなりの技量が要求されるだろう。
 それと、ぶっちゃけ、フリでも、親が「算数好き」になる必要があると思う。)