勉強を続ける仕組み4

子供はなぜ勉強しなければならないのか。
と聞かれれば、みな同じことを考えると思う。
私もそれと同意見である。だからここには書かない。
 
さて、そういうわけだから、子供は勉強しなければならないのだ。
ただ、それがどんなに「将来」とか「未来」とかかわっていようが、子供たちには
将来も未来も見えない。だって、体験してないんだから。
(本来「例外はあるだろうけど、普通の子供たち」を、ここでは単に「子供たち」と書く。)
だから、本当の理由が、将来とか未来にあっても、子供たちのモチベーションは、
「今ここにある勉強」の中になければならないと思う。
 
「勉強自体をおもしろいと思ってもらう」が、私が勧める第一の「勉強を続ける仕組み」
(正しくは、「勉強を続けさせる仕組み」)である。
 
どうやって?
それは、人それぞれ、各自自己責任のもと、、、なんて言っても仕方がないので、私見
述べるなら、何より「勉強が楽しいと思っている人が勉強を教える」だと思う。
 
私はドイツで暮らしたことがある。
ドイツのパンは黒くて重くて湿っぽくて、最初に食べたときは、おいしいとは思わなかった。
が、下宿先のおばあさんが、私を手招きして、まるで秘密を教えてくれるように、
目をまんまるにして、「ドイツのパンはおいしいのよ」と言いながら、一切れわけてくれた。
まったくいつもの通りのドイツのパンだった。
しかし、その瞬間、「ああ、おいしい」と思ったのだった。
それから、私はドイツパンの熱烈な支持者である。(日本では、なかなか買えない。)
 
実は、その前にも同じような経験をしたことがある。
インド人の家に招かれた時のこと、彼が「これは自慢の米なんだ」と言って出してくれたのは
インディカ米だった。
日本では、俗にタイ米とよばれ、(少なくとも当時は)あまり好まれていない米だった。
多くの日本人は「東南アジアや南アジアでは、かわいそうに、あんな米しかできない」などと
言っていたものだった。
 
実は、私は、その家に招かれる前から、「インディカ米、案外おいしい」と思っていたのだが、
そんなに「自慢なんだ」と言うほど彼らが好んでいるとは思ってもいなかった。
で、食べてみたら、「なるほど、自慢するほどのお米だ」と思ったのだった。
 
要するに、本気の人でなければ伝えられないもの、本気の人なら伝えられるものがあると
思うのである。