勉強を続ける仕組み3

人それぞれである。
そして、「人それぞれである」ということを認識することが一番大事だと思う。
 
のだが、まず、「大抵の子供に向かないのに、大々的にやられている」と感じるものの話をしたい。
(もちろん、「向いている子供」もいるとは思うが。)
それは、モチベーション教育(ここでは、これは私の造語)だ。
子供に「将来何になりたい?」と聞く。
すると、「お医者さんになりたい」などと答える。
そこで、「じゃあ、理科の勉強をしないとね。それから、数学も必要かな」なんてもっていく。
そして、それを勉強のモチベーションにする。というものである。
 
私の見聞する限り、とても多くの場所で行われていると思う。
 
しかし、これ無理でしょ?
たとえば、子供が「ミュージシャンになりたい」と言ったらそこでゲームオーバーだと思うのだ。
「じゃあ、人の心をよく知らないといけないね。国語を勉強しよう。
 より深く勉強するためには、大学に行った方がいいかもね。そのためにも勉強しよう」なんて
続けるのかもしれない(推測)が、そんなの子供たちは信じないでしょ?
 
それに、この理論は、大工さんになりたかろうが、美容師さんになりたかろうが、
結論は「勉強しましょう」だから、子供の方だって、よほど人間ができていなければ
聞いていられないだろうと思う。
 
という当然のことは別にして、私は、もっと根幹にかかわる問題を感じるのだ。
それは、「〇〇になるためには勉強しましょう」というのは、「勉強自体はつまらない」と
感じている人の発言だと思うのだ。
勉強はつまらないだろうけど、それをすると将来良いことがあるよ」と。
わざわざそんなことを、子供たちの前で言わないでほしい、と切実に思う。
そんなことを言うあなたは勉強が嫌いだったんでしょう。
でも、子供たちがそうとは決まってないですよ。と思うのだ。
 
モチベーション教育の推進者は「いえ、そんなことは言ってません」と言うだろうか。
しかし、「〇〇になるためには勉強しましょう」=「勉強自体はつまらない」だと思うのである。
 
じゃあ質問です!(ブルゾンさん風)
花は自分からミツバチを探しに行きますか?
ではなくて、サッカー少年たちは、お医者になるためにサッカーをしてますか?
彼らは、将来の職のためにではなく、今サッカーが楽しいからサッカーをしているのだろう。
サッカー選手になりたくてサッカーをしている?
確かにそうかもしれない。
でも、それも、今サッカーが楽しいからではないだろうか。
 
少年たちにサッカーをやらせるのには、将来の職業の話なんかする必要はないと思う。
勉強だって、同じはずなのだ。
子供たちには、「勉強はおもしろいっ」と伝えてほしい。
だって、本当は(笑 or 泣)おもしろいんだから。