数学ができる子の育て方?

いや、まあ、それがわかったら苦労しない。ですな。
しかし、ちょっと思うところがあるのである。
ちなみに、この「数学ができる」とは、最高で大学入試レベルの話であって、その先ではない。
 
それから、これは我が子の話ではない。
我が子たちは、えーと、ごほん、数学が得意に育ってくれた。(息子は数学科だし。)
彼らの成長を振り返って・・・という話でもない。
数学が現状あまり得意でなさそうなお子さんたちに関して、どうすればよいかを、実証抜きに考え、
書き散らそうって腹なだけであります。
 
さて、本題。
こう言ってはナンなんだが、私には、偏差値が日本で一番高いであろう某大学医学部出身の
友人・知人がそこそこいる(あるいは、いた)。
優秀な連中である。(そして、大概は、良い奴である。笑)
数学の点数もさぞ良かったに違いない。
が、ごめんなさい、「おお。数学的ひらめきすごいな」と思ったことはあまりない。
こんなこと言って、ほんと、ごめんなさい。
(一人だけ、「こいつ、賢いな」と思っていた(今も思っている)奴はいる。)
「そういう話は、人としてどうなの?」って感じであるが、しかし、語っておくべき気もするのだ。
 
で、数学に関して、特に印象に残った1人がいる。
それは、塾講師仲間(私と同じく数学担当)である。
当時、その某医学部の現役学生で、お酒の名前っぽい某有名私立高の出身者だった。
(ちなみに、私は、その医学部にもその高校にも、また、彼にも悪意はない。念のため。)
彼は、よく「ひらめき」という言葉を使っていた。
「ひらめいた」とか「なかなか、ひらめかない」とか。
 
彼の頭の中は見えない。
しかし、彼の用語法に大変な違和感を感じたものだった。
そして、彼は普通の人なら「思い出した」と言うべきところで「ひらめいた」と言っている
のではないかと推測するに至ったのだった。
 
正直、彼が見せてくれる「ひらめいた解き方」というのは、う〜ん、いかにも塾の先生がやりそうな
微妙な省エネが入ってはいるが、それ以外は普通だと思ったのだ。
 
で、その後、彼と会うことはなくなり、実際、それほど興味深いことでもなかったのだが、
最近(と言うか、もう10年も前かな)になって、思い出すようになった。
そして、「ほとんどの数学優等生たちは、実は解法をものすごくたくさん覚えていて、
それを使って問題を解いているのではないだろうか」と思うようになったのだ。
そう思うようになったきっかけは、「数学は暗記」という類の本がそこそこ見られるようになった
こともある。(著者さんは、栗田先生と、あと、あの某大学医学部の出身者だったり。)
また、独自の考察もある。
 
なお、ここで言う「ほとんどの数学優等生」(大学入試まで、ね)には、彼も私も入る。と思う。