中学入試の特殊性

何度も書いたことだが。
 
子供たちに中学受験を勧めなかった大きな理由は、
 
 ・本人たちが望まなかった。
 ・女の子用の私立中学の多くは、宗教的に選べなかった。
 ・いずれにしても、ものすごく遠かった。
 
である。
しかし、私から見て、中学入試問題の特殊性もあった。
 
まず、算数はものすごく特殊だと思う。
あの算数を支持している、それどころか、崇拝している人も結構いるようだが、私には信じられない。
私個人は、「あまり役に立たない」と思う。
支持・崇拝している人の多くは、あれが頭の良さの指標であり、あるいは、あれをすることで
頭が良くなる(論理力が鍛えられる)と考えているようだ。
確かに、少しやってみるのは大変良いと思う。私もやった。子供たちにも少々はやらせた。
しかし、「人生がかかってる」くらいの勢いでやらせるのはあまり良くないと思う。
いや、それを軽々やってのけられるならいい。そうでない場合は悲劇だと思う。
 
国語は早熟な子にしか向いていない。
何十年も前の子供時代を回想する中年男性の気持ちやら、絶望を前にした友人の様を見た人の気持ちやら、
そんなことがわかる子供ってそんなにいないだろう。
まあ、そこまで極端でなくても、やはり厳しいと思う。
 
理科・社会に関してはあまり不満はない。
しかし、ピーナッツの実のなり方とか、メダカの孵化までの日数とか、日本全国の特産品とか、
そういうものを覚えなければならない。
本人が喜んで覚えるならよい。しかし、本人が嫌だと言ったら、それまでだろう。
 
ちなみに、私にも(息子、娘、妻にも)私立中学出身者の友人がたくさんいる。
彼らを悪く言っているのでは、もちろんない。
むしろ、(少なくとも私の場合、)彼らの「いい奴」率の高さは驚異的ですらある。
彼らは、たぶん、中学入試をやすやすと乗り切ったのだと思う。
(高校時代の段階で、「俺、中学入試の事、ほとんど覚えてないんだよ」と言う奴が多かった。
 落ちた私の方が、記憶に残ったのかもしれない。)
「やすやす乗り切れる」程度の試練なら、まあよいのだろうとは思う。