商売と宗教とアクティブラーニング

あるところで夫婦ともども「有料セミナー」のお誘いを受けた。
教育関係である。
妻も私も一瞬で否定的になり、あとは「どういう風にやんわりお断りするか」だけが
問題だったくらい、私たち夫婦に合わないものだった。
 
で、そのお誘いのセールスマンを、妻は「宗教の勧誘のようだった」と評する。
彼がしていたのはセールスであり、宗教の勧誘でなかったことは間違いない。
しかし、その口調は確かに狂○者のようだった。
 
彼は商売をしていたのだが、その商売は彼に金銭的利益をもたらすだけでなく、
「社会貢献をしているという満足感」も与えているのだろうと思った。
金銭と社会貢献。
彼にとってどちらが重いかわからないが、たぶん、気持ちの上では社会貢献が主で、
「その上、収入もある」などと考えていたのではないだろうか。
こういう人と議論してはいけない。と思う。
 
昨今のアクティブラーニングの支持者の口調がそれにとても似ている。
「子供たちをアクティブにする。それのどこがいけないのか?」
「反対するのは意識が低い人か既得権益を守りたいだけの人」
「新しい時代に対応できないなら退出すべきであろう」
という感じである。
 
私がアクティブラーニングに反対する理由は
 
「子供の人格を思い通りにコントロールする(アクティブにする)」なんてできっこない。
それを、お手軽に「できる」と考えるのは、不遜であり、かつ、浅薄である。
不遜かつ浅薄な計画は、必ず破滅的な終焉を迎えるだろう。
 
である。
が、その一方で、彼らの口調が件のセールスマン君に似て、○信者のものだからでもある。
(ちなみに、そのセミナーの内容は、「話し合う」とか「共有する」とか、
 まさにアクティブラーニングのバズワード満載だった。)