嫌いでもやろう

子供が中学生の時、学校のテストを見た。
歴史(社会)のテストに「以下の選択肢の中で○○なものを見つけよ」なんて問題があった。
選択肢は5つくらいだが、うまくできていて、たぶん直接的な知識で正解を知っている子供は
ほとんどいないだろうけれど、基礎知識を組み合わせると正解が選べるというものだった。
私は、大変感心したものだ。
 
その問題を解くには、基礎知識の暗記と推論の2つが必要だったのだ。
「基礎知識の暗記は不要」と言っていれば、そんな問題は出せなかっただろう。
たとえば、問題文の中に基礎知識を書き込んで推論のみをやらせるべきだろうか。
それはそれで意味のある問題だと思うが、それを徹底すると、「国語のテスト」か
「論理のテスト」になりそうだ。
私は、上記のような問題(暗記と推論を必要とする問題)には大変大きな意義があると思う。
そして、それには、暗記学習が前提にあるのだ。