ちなみに

学生時代、塾講師のアルバイトをしていたが、たぶん、その頃は、「知識を蓄えること」と
「自動車を買うこと」を同列に考えていたような気がする。
 
私は、「自分はお金をもらってニュートラルな知識を与える人」であって、
子供たちの人格を変えるようなことは極力してはいけないと思っていた。
 
私はヒダリの人だが、そういう思想は決して言わないようにしていた。
(もちろん、学生同士では、ガンガン言ってた。)
ま、それは当然かな。主に、数学や理科の先生だったし。
(でも、(自称?)ホシュの人は、自分の思想というか偏見というか、そういうものを
 本当にだらしなく垂れ流しているような気がする。)
それは当然なのだが、数学でも理科でも、「好み」とか「個人的なやり方」というものもある。
それも極力語らず、とにかく、ニュートラルでいようと思ったのだ。
 
若い頃の、そういう純真な自分を抱きしめてあげたいほどいとおしく感じるのではあるが、
自分に子供ができて、子育てをして、「教育者は人格形成においてニュートラルでは
あり得ない」と感じるに至った。
さらに、最近、「知識を与えること自体が人格に影響を与える」と思い至ったのである。