ちょっと思ったこと 終了

よく「なぜ勉強しなければいけないか」を説く人たちがいるが、そんなことは子供でも知ってると思う。
仮に子供が「勉強する意味がわからない」などと言っても、それは、本当に意味を知りたいのではなく、
単に「勉強したくない」だけのことである。
だから、そこでいくら説明しても説得できないと思う。
(むしろ「議論が長引くと、それだけ勉強時間が減ってラッキー」くらいに思う子供もいるだろう。)
 
子供が勉強しない理由は「わからないから」に決まっているではないか。
わからない理由は「勉強しないから」。
そういう負のスパイラルに入っているからこそモチベーションも下がるのだ。
 
したがって、コストを考えなければ、最善の教育は、「負のスパイラルを断ち切らせるもの」だと思う。
それは、わからなくなっている子がいれば、わからなくなったところから「手厚く教え込む」ということだと思う。
最近、個別指導塾が流行っているように見えるが、たぶん、それがやりやすい環境ということも
一因ではないだろうか。(いや、知らないのだが。)
しかしそれを公立学校で行うのは難しいと思う。コストの面で。
 
したがって、次善の教育は「負のスパイラルに入らせないもの」だろう。
それは、誰もわからなくならないように「手厚く教え込む」だと思う。
やる気を煽っておいて、「みんなで考えてみましょう。先生はみんなから学びます・・・」では、
とても時間が足りないと思うのである。
 
「誰もわからなくならないように」を真剣に考えるなら、それは、能力別クラスを作るしかないと思う。
「今の小学校中学校では、数学などで事実上の能力別クラスを採用している」という話を読んだことがある。
実際、子供たちの学校もそうだった。
しかし、それは「事実上」と言われるように、制度の許容範囲と相談しながら、ずいぶん制約を受けたもので
あったような気がする。
 
「多様性」は公立学校の長所でもあるので、そういう意味では能力別に反対する気持ちもわかる。
複数クラスはコスト的に難しいというのもわかる。
それでも可能なら、そうしてほしいと思う。
 
が、まあ、それはそれで、できなければ仕方がない。
その場合でも、譲れないものがある。
それは「教え込み」をちゃんとしてほしいということだ。
そして、ちゃんと(卒業までは)ずっと勉強するように指導してほしいということである。
 
普通の子供たちは、わからなくならなければ勉強すると思うのだ。
自主性はその中から生まれてくるのではないだろうか。