ちょっと思ったこと 4

教え込みをすると生徒の自主性がなくなるだろうか?
妻なら絶対こう言うだろう。「そんなもんでなくなるものは最初からないんだよ!」。
 
ま、そういうご意見もあり、ま、だいたい賛成ではある。
しかし、まあ、確かに強圧的に「これを覚えろ。何、覚えられない?○鹿かよ、お前は。あ?」みたいな
先生に教われば、自主性どころの騒ぎではないだろう。
しかし、そんな先生は、昭和ならともかく平成の御代にいるとは思えない。
(実は、昭和時代にもそんな先生はいなかった。テレビドラマでもなければ。)
 
平成の「よろしくない先生」は「親切で先回りするタイプの先生」ではないかと思う。(ごめんなさい。)
生徒が困った顔をしていると、すぐ助け舟を出すタイプ。
「良い先生」と言われがちだろうし、実際、心は良い先生だと思うのだが、注意が必要だと思う。
 
そういうことを繰り返していると、生徒は「困っていれば助けてもらえる」ということを学習してしまう。
そして、「生徒困る→先生助ける」が次第にパターン化していき、最後は様式美の世界にすらなる。
(様式美はギャグです。念のため。
 でも、「困った顔をする」という「顔」だけの問題になっていくと思うのだ。)
 
生徒が困っていても簡単に教えてはいけない。と思う。
私の大嫌いなアク○ィブラーニングでも同じようなことを言っている。
それは、同じ状況を見て、(ほぼ)同じように対処法を考えているからだろうと思う。
しかし、アクティ○ラーニングで言っているのは、最初に生徒に自主性を持たせ、おだて上げ、
自主的に解決させようということだろうと思うのだが、そうは問屋が卸さない。はずだ!
 
「(気持ちの上で)自主的になれば解決できる問題」なら、多くの人は自主的になると思う。
自分(たち)では解決できないから、やがてそれを放棄し、非自主的になるのだろうと思う。
つまり、生徒が自主的に問題を解決できないのは、「彼らにモチベーションがないから」などと言った
気持ちの問題(しかも、「すぐ変わる気持ち」の問題)ではなく、単に、解決する能力がないからだ。
解決する能力があるなら、自主的に解決するのではないだろうか。
 
注:
ちょっといぢわるを言うと「生徒に助け舟を出す先生」は生徒の顔だけでなく時計も見ていると思う。