なぜ数学力がほしいのか

多くの人は、「数学ができる人」になりたいのではないだろうか。
私には、これは大変興味深い現象である。
 
たとえば、学生時代「数学ができなかった人」で、大人になって十分出世して、
それを考えれば「数学の成績」なんか人生にナンの意味もなかったはずの人で、
どういうわけか数学へのうらみを忘れていない人が結構いる。
そういう人の中には、権力者になって数学教育をやめさせようとする人もいる。
(私は音痴で音楽の時間は苦痛に満ちたものだったが、もし独裁者になっても
 音楽の授業をなくそうとは思わない。)
 
「数学ができないのは遺伝子のせいだ」という意見・信仰・研究がある。
一方で逆の意見・信仰・研究もある。
なぜ、人々はそんなにも数学を気にするのだろうか。と思うのだ。
(もちろん、数学だけではないのだろうけれど。)
 
前にも書いたが「数学する遺伝子」におもしろいことが書いてあった。
人間は、服もろくに着ていなかったような昔から、小動物やどんぐりを求めて森の中を
彷徨っていた昔から、生物としては進化していない。
その頃の人間の子供を現代につれてきて、数学を教えればちゃんと理解するだろう。
つまり、森の中を彷徨っていた生物(人間)に、すでに高度な数学を理解する能力が
あったということになる。
生物の能力は、一般には、生き延びるためにある、らしい。
じゃあ、人間のその能力はどう生き延びるために必要だったのか、と。
 
人間と数学の関係はおもしろい。