2016-07-20 関連して 日記 討論というと、アメリカのディベートを思い浮かべる。 これは確かに重要な能力であり、これが導入されたのは、ゆとり教育の数少ない 「良かったこと」の1つだろうと思う。 しかし、アメリカ人のディベートは、おそらく、本当に厳しい。 だって、多くのエリートはそれに人生をかけているのだから。 ある種の状況においては、ディベートに負けたら、「人生の負け犬」なのである。 逆に、そういうディベートに耐えられない人は、最初から別の道を選んでいるのだと思う。 我々にそういう覚悟はあるのだろうか。 あるいは、指導者にそこまで指導ができるのだろうか。と思う。