関連して

討論というと、アメリカのディベートを思い浮かべる。
これは確かに重要な能力であり、これが導入されたのは、ゆとり教育の数少ない
「良かったこと」の1つだろうと思う。
しかし、アメリカ人のディベートは、おそらく、本当に厳しい。
だって、多くのエリートはそれに人生をかけているのだから。
ある種の状況においては、ディベートに負けたら、「人生の負け犬」なのである。
逆に、そういうディベートに耐えられない人は、最初から別の道を選んでいるのだと思う。
我々にそういう覚悟はあるのだろうか。
あるいは、指導者にそこまで指導ができるのだろうか。と思う。