じゃあ、どうすればよいと思うか

それは国民がそのコストをどれだけ負担できるかによる。
が、基本的に、能力別クラス・個性別クラスを作るのがベストだと思う。
私は社○主義者であり、戦後日本に育ったから、「みんな一緒」が好きだ。
しかし、人はそれぞれ違う。
だから、可能なら「分ける」のがよいと思うのだ。
 
ただ、能力別・個性別を極端に推し進めると「個別学習」になる。
それがよい場合も多々あると思うが、複数生徒の授業、場合によっては大人数授業も
残すべきだと思う。
 
その詳細をここで論じても意味はないが、たとえば、数学や理科の座学は少人数制が
向いていて、国語、社会、外国語などは、多くの生徒が参加するものが向いている
のではないかと思う。また、実験・実習は複数性で。
ただし、それは状況によると思う。
 
実際問題、能力が高くやる気があるなら、ゆとり教育でもアクティブラーニングでもよいと思う。
だってあれは「生徒を天才と仮定する教育法」でしょ?
 
で、天才君クラスはおいておいて、「多くは普通の子」を対象にした教育方法。
実際、新たなコストを負担できないというなら、能力別クラスは作らず、
「多くの普通の子」用の教育を実施するしかないだろうし、私はそれがセカンドベストだと思う。
 
続く。
でも、それは私達が受けてきた授業ってことである。