アクティブラーニング反対す 3

ひつこい?はい、もうこれでやめます。
以下、アクティブラーニングについて妄想をさく裂させます。
「これがアクティブラーニングだ!」というものを知らないので。
ただ、たぶん、以下のようなものだと思う。
 
たとえば、生徒に「地域を活性化させるにはどうしたらよいか」というお題を出す。
子供たちは班を作って話し合い、結果をまとめて発表する。
その発表を先生たちが評価する。
アクティブラーニングとはこんなものらしい。
 
そして、ごめんなさい、心の底から「いろいろ間違ってる」と思ってしまうわけであります。
 
まず、お題だが、どうして「地域」なんだろう。
重力波の検出方法とか、AIのアルゴリズムとかでない理由はなんだろう。
それは、物理や情報は難しいから、だろうと思う。
しかし、私は思うのだが、みなさん、「地域の活性化」をなめてませんか?
重力波の検出より地域の活性化はやさしいだろうか?
そんな案がホイホイでるなら、誰も苦労しないだろう。
100歩譲ってそうだとして、重力波の検出はアクティブラーニングのお題になるだろうか?
重力波やAIが難しすぎるとして、じゃあ、理系科目はどうやるつもりなのだろう?
方程式や微分積分をどうアクティブにラーニングさせるのだろう?
 
で、子供たちが出した「地域の活性化」の案。
「ああ、子供たちが自分たちの地域社会に目を向けてくれた」と喜ぶ人は多いだろうと思う。
しかし、その案を採用しようとする人はおそらく皆無だろう。
子供たちはかわいい存在ではあるのだが、なめられてもいるのだ。
 
どうせ案を採用するつもりのない(採用する権限もない)教員がいったい何を評価するのだろうか。
たぶん「がんばってる感」だろうと思う。
一生懸命考え議論する子供たち(つまり、アクティブな子供たち)が評価されるのだ。
最初から最後までひとりで考え込んでいたり、「大人の人の意見を聞きたい」などとマットウな事を
言う子の評価はたぶん低くなるだろう。
 
思うに、こういうお題について、指導者は「生徒の結論」をはじめからある程度想定していると思う。
たぶん「ショッピングモールを作る」「新駅を作る」「老人と幼児のふれあいの場を作る」などは可。
アメリカの町と姉妹都市になる」も可。
「日本から独立し、独自の政策を実行する」は微妙。
「商品の代金を取ることを禁止する」「何をしても警察につかまらないようにする」はたぶん不可。
で、その上で、先生たちはきっとこう言うのだ。
「若いみなさんの発想に驚きました。なるほどそうなのか、と。私も勉強になりました」。
本気でそう思うなら、ぜひ、商工会議所なり市役所に提案してほしいと思うが、たぶん、しないだろう。
そして、子供たちは、そういう先生の反応をはじめからある程度想定していると思うのだ。
 
それにしても、「これは子供たちにとってアクティブにものを学ぶ練習になる」とお考えだろうか?
おそらく想定された(しかも何の役にも立たない)結論をだすだけの「活発な議論」やらなにやら。
もちろん、そういう経験が無意味だとは思わない。
しかし、そんなのばかりやらされることになったら、子供たちは本当のことを学べなくなると思う。
 
以上、要するに、間違っているのである。
 
ただ、上に書いたのは、「たとえば、ここがおかしい」という例にすぎない。
前から書いているように、本当に問題なのは、能動性や主体性をコントロールしようとすることである。
「最初から結論のある自主性」なんて、考えただけでも気分が悪くなるだけなのであります。
伝説の女性銀行員の言葉を差し上げたい。「そんなの絶対間違ってます!」と。
 
補足:
「一番嫌なのは能動性・主体性のコントロール」と書いた。
それはそうなのだが、もう1つとても私が嫌がっていることがあると気付いた。
それは子供たちにニセモノを見せているということだ。
 
たとえば、子供たちが話し合って出す「地域の活性化案」は、たぶん、ほとんどが役に立たない、
言葉は悪いが、つまり、ニセモノなのである。
それは、地域の活性化で本当に重要な事をたぶん見ていないからだ。
(子供なんだから、そんなものは見えなくて当然だ。)
そして何の役にも立たない案を誉めそやすのはキングオブニセモノである。
もし、少しでもホンモノにしたいなら、子供たちの案に真剣に反論してあげることだ。
ハコモノ行政って言って、成功例は少ないんだよ」「過密地帯に線路なんか引けない。そのコストは
どうするつもり?」「ふれあいの場って、誰が管理するの?本当に多くの人が使うと思う?」
「そもそも君達は費用のことを考えてないよ」なんて。
そうしてやらないのなら、ニセモノでしかないと思う。
 
一方、連立方程式やらオームの法則は本当のホンモノなのだ。
大人もちゃんと使うものなのだから。