大きくなってからの勉強はなぜ難しいのか?
前にも書いたけどまた書きたくなった。
勉強ができない子(失礼)というのは勉強をしない子である。
逆に言えば、勉強さえしていれば勉強ができない子にならない。はずである。
ところがいくつか(たとえば、2つ)問題がある。
一つは、勉強をしない子は勉強をしない、あるいは、途中でやめてしまうということだ。
これには、その子の性格、先生の影響、家庭環境などいろいろな要因があり・・・、
なんて言いたくない。
いや、実際、いろいろな要因があると思う。
しかし、例外を除けば、理由は1つだと思う。
野球が好きな子はいろいろ困難があっても野球をする。
途中で辞めちゃうのは、つまらなくなるからだ。野球でも勉強でも。
なぜ、勉強がつまらなくなるかと言うと、「わからなくなる(活躍できなくなる)」からだと思う。
なぜ、わからなくなるかと言うと、勉強をしていないからだ。
あれ?そうなの?
はい。そうだと思います。
その子たちは「正しい勉強方法」がわからず、したがって「正しく勉強していない」のだと思う。
もう1つの問題は、現実に、「勉強してるのに成績が悪い子」がいる(ように見える)ことだ。
これも、例外はあるだろうけど、実際のところ、その子は「本当の勉強をしていない」のだと思う。
要するに、「正しい勉強法がわかっていない」ということが問題なのだ。
「正しい勉強方法」のテクニック的な側面は、このブログでさんざん考えた。
そういう本もたくさんある。
しかし、本質的な事は(これも何度も書いてる気がするが)「しっかり考える」ということだと思う。
「正しい勉強」とは「しっかり考える」ということなのだ。
ところが、「しっかり考える」ということを教えるのはとても難しい。
「しっかり考えられる人」は、それを当たり前のようにやり、当たり前だからこそ、その方法を
教えることは(普通は)できないと思う。
逆に、「しっかり考えられない人」は、たぶん、その自覚がないか薄いと思う。
だから、「自分は一生懸命勉強している(考えている)つもりなのに、成績が上がらない」などと
いうことが起きるのではないだろうか。
繰り返すが、「しっかり考えよ」と指示するのは、「腕立て伏せを100回やれ」などという指示より
はるかに難しいのである。腕立て伏せなら、言われた側は、何をすればよいかわかる。
しかし、「考えよ」では、具体的に何をすればよいかわからないはずだから。
「考え方」などを先生が示すこともある。
それがうまくいくこともある。
しかし、残念ながら、うまくいかないことの方が多いと思う。
個別の問題の「考え方」を教えることはできても、「しっかり考えるというのはどういうことか」を
教えることにはならないからだ。
「段階を踏んで考える道順を示す教育」というのはクセモノだと思う。
もちろん、そういう教育が必要な時期もある。そのときには、本当に有用な教育である。
しかし、それをずっと続けると「考えない子供」になるだろう。
ではどうすればよいかと言うと、「しっかり考えなさい」と言い続けるしかないと思う。
それは「君の考えは足りない。どうしてかは言えないけど、足りない」と言うことだから、当然、
反発されることになると思う。
もし自分が指導者なら、それでも言い続けるしかないと思う。
自分で自分を教育する人は、自分に言い続けるしかないのだろうと思う。
これは相当に難しい。
けれど、不可能ではないと思うのだ。