幸せについて

最近考える。そういう年なのだよ。
 
思うに、人は何かをして結果を出すと幸せなんだと思う。
さらに言えば、その結果が他人に評価されるとかなり幸せだ。
逆に言うと食べるとか寝るとかいう基本的なことは別にして、上記以外の幸せがあるだろうか。
 
人は有名になってたくさんの人に評価されたいと思うのだと思うのだが、それが無理なら
(普通無理だから)、限られた世界でも評価を受けたい。
地域のコミュニティーとか、ヲタク集団とか、あるいは、不良仲間ということもあるだろう。
(もちろん、ブログを書いている人は、ブログを読む人に評価されたいのだ。)
 
「何かをしてすぐ結果の出るもの」を選ぶということもある。
たとえば、「買い物」がそうだと思う。
お店に行って(あるいは、ネットで)お金を出せばすぐ商品が手に入る。
まさに「何かをしてすぐ結果が出た」のだ。
評価者はあまりいないと思うが、それでも全然いないわけではないだろう。
買った商品を自慢する相手がいれば完璧である。
しかし、そういう「買い物」が真の幸せにつながっていないことは、たぶん、当人も含めて、
誰にもわかっていることだと思う。
これは、よく言って「安上がりの幸せ」であり、もしかすると「ニセの幸せ」なのだ。
 
それから(電子的な)ゲームというのはそういう方向でうまく作られていると思う。
あれはすぐに結果がでない。
何時間か、あるいは、何日かの練習が必要だ。
しかし、練習すると確実に上達する。これは我々の本能を刺激する。
しかも、所詮、何日かそこらの努力で済むのだ。
そしてゲームをする人はたくさんいるので、うまくなれば評価してくれる人も多い。
幸せだ。
しかし、これもやっぱり、「安上がりの幸せ」「ニセの幸せ」だろう。
 
「ブログを書く」というのも、うまくできている。
このブログも含めてたいてい誰にも読まれていないわけだが(笑、いや、泣)、理論上は
世界中の人が読める。
「世界中の人に向けて自分のアレコレ」を発信していると思うと、幸せである。
しかし、これもやっぱり、あやしい。
実際に、多くの人に読まれ、有用と考えられているブログならともかく、、、。
ちなみに、私はやっていないが、ツ○ッターとかS○Sというのもその方向なんだろう。
 
どうすれば「ちゃんと幸せ」になれるのだろうか。
それには「ちゃんとした努力」が必要なんだろう。
それも誰もわかっているのだと思う。
 
けど、少し考えてみたい。
キーワードは、消費、創造、成長である。