自主性について

最近、どうも、不満なセリフを聞くことが多い。
あんまり書いているとブツブツ爺さんになりそうだから、避けようとも思うのだが。
たとえば、教育関係で言われる「生徒の自主性を育てる」。
 
私は、昔、塾の先生をしていたが、生徒の自主性なんて育てなくてもみな発揮しまくりだった。
まじめに勉強する生徒、スポーツに打ち込む生徒、恋愛的青春真っ只中の生徒、
そして、だらだらしているだけ(に見える)の生徒。
みな、それぞれの自主性を発揮しまくっているのであって、わざわざ自主性を育てる必要なんか
ないではないか。
「生徒の自主性を育てる」という人が理想とする「自主的な生徒」とは、「先生の顔色を見て、
先生が望むことを先回りしてやる生徒」という意味だったりしないだろうか。
それは「自主的な生徒」とは言えないと思う。
 
という話を娘にした。
娘の感想は「だるい。ひたすらだるい話だよ」だった。
やっぱり、こっそりブログに書いとくのがいいのかな。