管理された独創性なんか要らない

(と言うか、独創性を管理しようとしないでほしい。どうせできるわけないし。)
ときどき、新聞や雑誌に中学生や高校生の「独創的な実験」の話題が載る。
そういう実験は、具体的に書くと差し障るのだが、だいたいにおいて、
 
・いかにも子供らしい(?)発想で、大人の意表をつく。
・しかし、(当然)子供に実行できる。
 
ようなものだ。
 
その子たちを悪く言うつもりはない。
ぜひ、その才能を伸ばしていってほしい。
 
しかし、私はそういう話をうれしそうに取り上げる大人たちに問題を感じてしまう。
子供たちの発想はすばらしいと思う。
しかし、「子供たちの発想」にはいろいろあるだろうに、なんだか、「まともな理系教育を
受けていないオジサンが好むようなもの」ばかり選んでほめそやしているような気がするのだ。
そして、その背後にうっすらだが「まともな理系教育への否定」すら感じられる。
と言ったら言い過ぎだろうか?
(あるいは、「机の上での勉強より、もっと重要な、自由な発想というものがある。
 机の上で勉強しているだけじゃだめだ」的な、妙な論理がある。)
そんなオジサンが、そういう実験を、ものすごい「上から目線」でほめそやすのだ。
そういう文章が中学入試問題に出題されたりする。悲劇である。
 
この「独創的な実験」をした子たちが今後どういう成長を遂げるかわからないが、
理系的な意味では、机の上でやる普通の数学や理科の勉強をしなければ
普通に勉強した人たちにすぐに太刀打ちできなくなるだろうと思う。
 
「独創的な実験」を推奨するのを止めはしないが、普通の理系教育を充実させてほしいと思う。