自分の心と向き合う

宗教じみてきたと言うか啓発セミナーっぽくなったというか、いえ、そういう話ではない。つもり。
 
私は勉強好きらしい。
妻が、しみじみ「お父さんは勉強好きだよね〜」と言う。
成人した従妹たちが「○○ちゃん(私のこと)って、ふっと目を離すと勉強してたりしたよね」と言う。
本人的にはそんな自覚はないのだが、いいでしょう、そこまで言うなら勉強が好きなのだ。
しかし、それでも、勉強をはじめるとイライラすることがある。
 
集中しようと思ってるのに、遠くのテレビの音がうるさいとか、昼間のダレソレの態度がよくなかったとか。
で、だんだん年を取って、私のイライラは、実は、テレビの音とかダレソレとかは関係なく、ただ、
「勉強をはじめた」という事実によって引き起こされたものだとわかってきた。
ま、そうだよね。普通に知性のある人なら、気が付くとこだと思う。
 
そして、それは「集中できない自分への怒り」だろうと思った。
と、まとめてしまうと、なんだかキレイな話(?)であろう。
 
しかし、確かにそういう側面はあるのだが、それだけじゃないように思うのだ。
私のイライラというか「怒り」は、これから勉強するための起爆剤のようなものではないかと。
つまり、怒りの力で一気に勉強に向かっていくことが結構あるように思ったのだ。
(ただし、はずすことも多い。怒りまくって結局何もしないことも、、、結構、、、ある。)
 
そう思ったのは、自分の父親を見てである。
私の父は、瞬間湯沸かし器のようにすぐ怒る。
で、たとえば、庭仕事とかそういうことをするときに、ぐあーっっと怒ったりする。
こっちとしては迷惑千万なのだが、見ていると、その「怒りのパワー」でさっさと仕事を終わらせている
ようにも見えるのだ。
そして、「ああ、自分もそうだ」と思ったのだ。
(ちなみに、私の母は、私を「瞬間湯沸かし器のようにすぐ怒る」と言っている。
 しかし、それは思春期のことで、その後はちゃんと抑えていると思う。
 そこが、私が父親より進化した点である。
 私のかわいい息子も、中学高校の頃は、瞬間湯沸かし器のようにすぐ怒っていた。)
 
そう自覚したら、ちょっと便利になった。
勉強をはじめてイライラしてくると、「よし、これを乗り越えれば集中できるぞ」と思えるようになったからだ。
 
思うに、自分の特性を知ることは重要だと思う。
と、そういう話なのだ。